晩夏の一日

お盆休みの土曜日。ある地方の給油所の様子を確かめたくて、ちょっと遅めに家を出た。

その場所に行くにはいつも同じ川沿いのルートを使う。信号がほとんどなく交通量も少なくて走りやすい道。とくにこの暑さの中では、渋滞には巻き込まれたくない。こんな日に走るにはちょうどいいルートのはずだった。ところが前から気にはなっていたのだが、3月の震災の影響で路肩が崩れ、その道が通行止めになっていた。しかたがないのでこれまで使ったことのない間道を選んだ。

その地方はこれまでにも何度も訪問しているので、主要地方道はほとんど走ったことがある。どこにどんな給油所があるかはだいたい覚えている。しかしそれでもまだ通ったことのない忘れられたような間道があちこちに残っている。8月の真昼、炎天下の水田地帯。点在する集落をつなぐように走る間道のひとつに踏み込んで、最初の集落ですでに廃業した給油所の跡を見つけた。

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Mobilの赤い天馬である。白い塗料の下にはかすかに赤い塗装があった痕跡がある。宗教的な絵画にも通じる逸品であり、シルクロードで発掘された壁画だと偽っても通るかもしれない。おそらく昭和30年代中頃に描かれたものだろう。

一日かけた給油所巡りの最初にこういう作品に出合うと、その日はすばらしい給油所をつぎつぎと見つけることができる予感がする。予想通り、それからほどなくこんどは旧日石時代の最後の塗装のまま休業している給油所に出会った。旧日石の最後の塗装パターンは安っぽいパステルカラーが使われていて、個人的には好きなものではない。しかし二基残されている計量器のうち、一つが希少な渋谷製作所製のものだったので、思わず足を止めて撮影した。計量器はもとから製造数が少なかったこともあって、いまではほとんど見かけることのないものだったが、それよりもキャノピー支柱に何度も塗り重ねられた塗料のひび割れたフレークが見せる色の美しさに、夢中になって数十枚シャッターを切ってしまった。

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一番下の赤の時代、そして青緑の時代、さらに白の時代。それは珊瑚の一種のように、あざやかな蝶々の鱗粉のように、遺跡から発掘された柩の中から出てきた極彩色の衣装のように。

かつて何度も通ったことのある小さな集落を通り抜け、いまもShellの古いマーキングがブロック塀に残っているかを確認する。以前来たときよりもいくぶん褪色が進んでいるような気がするが、それでもまだはっきりと貝の形が読み取れた。

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やがて通りかかった街のはずれに、かつて賑わった給油所の跡がある。いま敷地内はコンクリート打ちが剥がされて砂地となっているが、そこに白い小さな花をたくさんつけた夏の草が生い茂っているのを見つけた。白いキャンバスのような防火壁に草の緑がよく映えている、赤い花が一輪だけ混じっているように見えたが、よく見るとそれは防火壁の一部だけ、白い塗装が剥がれて下地にある赤い色が露出していたのだった。

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その後、その日の目的だった給油所を訪れ、予想通り廃業されていたことを知る。廃業は虫の知らせでわかっていた。ただ震災で被害を受けて廃業したのではなく、地震よりも数カ月前に店主の方が高齢になったので自主的に廃業されたことを確認することができて安心した。

それからその場所からほど近い旧丸善石油の給油所跡を訪ねる。コスモになった形跡がないところを見ると、廃業してもう30年は経っていると思われる。前に二度足を運んだことがあるが、今回は防火壁に残された丸善石油のマークを丹念に撮影する。赤いツバメのマークの下に何か別の意匠がペイントされているのだが、よくわからない。解読までにはすこし時間がかかるかもしれない。

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帰り道、近くまできたついでに、いつも思いだす古いMobil給油所跡に足を延ばした。昭和30年代の水色の壁塗装がそのまま残っている貴重な遺跡。いまは一部が花壇状態になっているが、かわらず人の手がかけられて荒れた状態になっていないことに安堵する。

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もうそろそろ陽が暮れてきたので、本日の撮影も店仕舞いと思っていたときに、こんどはかなり古い出光の給油所跡を見つけた。出光の書の下にうっすらと日石CALTEXのマーク跡が見える。しかもCALTEXのマークは少なくとも二度は塗替えられた様子がわかる。塀の下部の深緑色のラインは日石時代のもののようだ。

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暑い一日だった。途中水分を何度も補給したにもかかわらず、帰宅して体重を計ると2キロ以上痩せていた。しかしその疲れを感じないほど充実した探索だった。

7号ロマンティック

アルバム2011年2月6日「7号ロマンティック」を追加

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この給油所は日本海側でも有数の古い港町の入口にあって、市内に向かう古い往来とバイパスの岐路に建っている。かつては敷地の中に大きな時計塔があり、陸羽浜街道を行く長距離トラックの運転手はその時計と独特の形状をしたキャノピーを、ランドマークにしていたという。この給油所から市街中心部までの短い距離の間に、最盛期は13もの給油所があったそうだが、現在は3つしか残っていない。

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40年以上も前に、この巨大なくちびるのようなキャノピーを作らせた人の気持ちに想いをはせる。それはまるで風の強い庄内平野を走ってきた人、帰ってくる人を温かく迎えてにっこりと微笑む口元のようだ。

花咲く春の晴れた日に

アルバム2011年1月22日「花咲く春の晴れた日に」を追加

この給油所のことがよほど印象に残っていたのだろうか、次の年も同じ4月の第二土曜日に再び訪れている。最初に訪問した2008年は、道を隔てて向かいにある町立病院の桜がまだ満開だったが、2009年はすでに半分以上散ってしまっていた。

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しかしなによりも大きな違いは、1年の間にMobilからキグナスにサインポールが変更になっていたことである。以前のMobil時代のシンプルでメタリックな雰囲気が好きだったが、キグナスになった後の明るくコーラスを歌うような色使いも悪くない。

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この給油所のご主人は、口数が少ないが表情はおだやかで優しい方である。いっぽうで、奥様はいつでも客をもてなすことに喜びを感じておられる明るく気さくな方だ。塗装が変わった前後のそれぞれのイメージが、ご夫妻の人柄をそのまま映し出しているような気がした。

この給油所のことを想いながら、春が来るのを待っている。
今年もまた、同じ頃に訪ねてみたいと願っている。

夕暮れに見つけたもの

ひさしぶりに給油所探しに出かけたのだが、なかなかこれはと思う給油所に巡り合えないまま、秋の陽はどんどん傾いていき、そろそろ帰路につかなければならない時刻となった。

いつも携行している古い道路地図を見ると、この近くに旧日石の給油所の表示が2つ出ている。ちょっと寄り道になるが、このまま手ぶらで帰るのも残念なので思いきって横道に逸れて丘陵地帯の奥のほうに向かった。

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そこで見つけたのがこの防火壁。旧日石の白塗装のままで、30年は経っているはずだが、驚くほど保存状態がよい。とくに褪色しやすい赤がほとんど色褪せずに残っている。周囲の建物の陰で直射日光に曝されることが少なかったからだろうか。

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そしてもうひとつ。これはそこから1キロも離れないところにあった営業店舗の片隅で出会った、旧日石のサービスマン人形。

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こころ和ませる温かな表情。なんだかうれしい気分で帰り道を走った。

蝙蝠と星の陰に赤い馬

遅い夏休みをやっととることができて、九州北部・西部の給油所を巡ってきた。天候にも恵まれすっかり季節外れの日焼けをしてしまった。

この写真は福岡県南部のとある国道を走っていて偶然遭遇した古い日石の給油所跡。国道といっても水田の中を走っているところは道路幅も十分に広いが、ちょっと集落に入ると車同士がすれ違うのも難しいほど狭い部分もある。この給油所はまさにそんな狭隘部分にひっそりと残っていた。

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防火壁だけでなく、セールスルーム部分もすべてブロック積みでできているところから、昭和20年代後半から30年前後の建築と思われる。両側の防火壁に旧CALTEXのマークが残っているが、思わず息が止まるほど驚いたのは、左側の壁だ。

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CALTEXのマークの下にひっそりと隠れているのは、スタンダード石油の赤いペガサス。戦前からあったスタンダード・ヴァキューム石油(スタンバック)が昭和36年に再編成されて、Mobilとエッソ・スタンダードに分割されるまではこの意匠が使われていた。つまりこの給油所は開業してしばらくはスタンダード石油のサインで営業し、昭和30年代の初めから中頃に日本石油にサインを変更したようだ。ちなみにこの時期の赤馬は左向きが正式で現在のMobilとは向きが逆。

日本石油のサインでどれぐらいの間この給油所が営業していたかはわからない。この左側の壁にも右側の壁にもCALTEXマークは大きさの異なるものが二つ判読できるので、少なくとも一度は塗り替えられたことがわかる。

いつか国道の拡幅工事が行われれば、確実にこの壁も建物も取り壊されるに違いない。その前に間に合ってよかった。

天領地の油商

アルバム2010年8月20日「天領地の油商」を追加

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これは戦前からガソリンを扱ってきた古い商家が、昭和30年頃に建物の角部分を取り壊して給油所の形態に改築したものだ。これまで日本の各地を回り、結構な数の給油所を見てきたが、この壁面のもつ表情のユニークさにかなう建物を他に思い出すことができない。遠い昔に賑わった古い町並の入り口にあたる四つ角を切取り、じりじりと夏の日差しを受けながらわずかな日陰を作っているこの防火壁のような土塀のような壁面に取り付けられたEssoの四文字は、欧文の立体文字看板というよりはむしろ欄間彫刻を連想してしまう。

改築する前は店舗の屋内床下に戦前の500ガロンの地下タンクが入っていたという。

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この店舗デザインは、先代のご当主の考案だというが、城郭の銃眼のような小窓の配列、庇に付けられた溝彫りや偶角の曲面などに、当時の給油所のもつハイカラなイメージと古い商家建築をマッチさせようとした意図が読み取れる。
半世紀以上の歴史の中で、何度もこの壁は塗り替えられてきたはずだが、さすがにEssoといえども、その指定塗装を押し付けることはできなかったことだろう。

国道ランドマーク

アルバム2010年7月31日「国道ランドマーク」を追加

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変わった形のキャノピーや風変わりなセールスルーム建築の給油所なら、ほかにいくつも知っている。給油所巡りをしていて、「この先のバイパス沿いに、すごく珍しい給油所がある。」と教えられてわざわざ足を運んだものの、奇を衒っただけの安っぽい造形にがっかりしたような経験は何度もある。
だが、この給油所は違う。この給油所の魅力は、退屈な国道の風景の中でも記憶にしっかりと残るランドマークとなるようなユニークな形状をしていながら、その造形は単に人目を引こうとしたものではなく、むしろ慎重に企画され設計されたことを伺い知ることができるところにある。

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交差点に面して二面接道のレイアウトを取っているが、給油所の敷地が広く、隣接する建造物との距離があるので、防火壁は遠く片側にしかない。防火壁に描かれた鮮やかなブランド意匠という屏風絵を後ろに背負うことができないので、ありきたりなセールスルームの建築では風景に埋もれてしまう。さいわいこの一帯は工場や作業所が多く、中高層の建物がないので、空が大きく開けている。空をキャンバスと見立てて、くっきりと映える形状を求めた結果、この造形ができたのだろう。

この巨大な天蓋はキャノピーとも屋根とも区別することができないくらい、自然にセールスルームと融和している。形状だけでなく、天蓋が受けた雨水を逃がす仕掛けや、普通なら屋上に設置されるはずの空調室外機の始末など、機能的な面でも設計に工夫がされていることがわかる。

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最初は三菱石油の給油所としてスタートしたことは、ノンスペース計量器の基部にあしらわれた三菱の切り抜き意匠の存在が誇らしげに語っている。日石三菱のパステル調のカラーリングの時代も、この給油所はブロンズのサッシとパネルだけで構成されていたために、似合わない衣装を押し付けられることを免れていたに違いない。いま30余年の歳月を経て、ブロンズ葺きの屋根は見事な碧みを見せている。
訪問を終えてもう一度振り返ると、四方に突き出した屋根の先からすっと伸びた白い二本のパイプはまるでマンモスの牙のようにも見えた。

王国の入口

アルバム2010年4月30日「王国の入口」を追加

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はじめて訪れた人が驚くのは、セールスルームの犬走りに沿って並べられたたくさんのブロックだ。この給油所は隣接する建築資材店が経営するもので、ブロックはさまざまな種類のものが1個ずつ置いてあることからもわかるように、建築資材店が扱う商品の見本として陳列されている。もともと耐火性は十分だし、邪魔になる場所でもなく、むしろセールスルームを防護しているようなものだから、これならば給油所の監督にうるさい消防署も文句のつけようがないだろう。

給油所を開業するときに、隣の店舗からも中を通じて行き来できるように壁側に寄せ、限られたスペースの中で車両の進入する動線をさまたげないように配慮して、このような円弧を描く美しい形の設計になったそうだ。カーブをあわせた屋上の手すりの存在もあって、船の哨楼のようにも見え、水兵の帽子のようにも見えて、どことなく海洋的なイメージの連想もある。

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茨城県は県域が東西南北どの方向にも広がっていて、6号、50号、51号という幹線国道だけでなく、小さな町村をむすぶ県道が網の目のようにはりめぐらされている。したがって「面」を支えなければならない理由で給油所の数が非常に多い。県の西部や北部の山間地域ですら、他県ならばそのまま行き止まりになるような谷筋も、隣接する栃木や福島に抜ける間道が生活道路となっているので、そのルート沿いにはかつて給油所が存在した跡を数多く見つけることができるし、いまでも小さな給油所がたくさん残っている。しかも昭和30年から40年代に建てられたものがほとんどで、そのために画一化されない個性的な建築が多い。給油所を巡って鑑賞する立場としては茨城はまさに桃源郷と言える。これまで撮影した給油所の数も茨城は他県よりも格段に多い。

東京から給油所巡りに繰り出すと、日帰りで戻ってこられる折り返し点がだいたい水戸あたりになる。水戸よりも先をじっくりと回ろうとするうと、どうしても水戸で一泊せざるを得ない。もちろん水戸より東京に近いエリアにも、何度でも繰り返し訪れている魅力的な給油所はたくさんあるのだが、水戸以遠の地域はちょっと覚悟して出かける別格の存在となっている。那珂川を越えた先というのは自分にとって異境であり、心ときめかす夢の王国でもあるのだ。

スカイツリーの足元で

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いまさらもう説明するまでもなく、これは東京スカイツリーの建設現場だ。この東武橋の上は近所の人や遠方からはるばる見物に来た人、たまたま通りかかった人などで連日ごったがえしており、その誰もがカメラや携帯電話でやがて世界一となるこのタワーの建設風景を写真に収めている。

この写真は2009年の10月末に撮影したもので、この日の高さは183m。いまはもうその倍の高さまで工事は進んでいるが、思えばこれぐらいの背丈のときが、力強く土を押し上げて生えてきたタケノコのようで迫力があったし、ロータリーエンジンの回転子のような優雅な円弧を描いた三角形の断面が、しだいに円に移行していくときにできる曲面の美しさにうっとりと見とれたりしたものだ。完成予想図を目にするたびに、展望台など要らないから250mぐらいでやめておけば格好よかったのにと個人的にはずっと思っている。

ところでこの場所に佇む人、通りかかる人はみなこの巨大な建造物を見上げているのだが、それとは正反対の方向、ちょうどこの写真を撮っている位置から背中に振り向いたところに一風変わった建物がある。

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これは元JOMOの給油所だった建物だ。給油所が廃業した後、しばらく前まではレンタカー会社がオフィス兼駐車場として利用していたが、現在はレンタカー会社も退去してそのまま空家になっている。なんだか平面構成に凝りすぎた70年代の注文住宅のようなユニークな形状をした建物は、見る方向によって表情が大きく異なる。外から見た限りでは、区切られた室内のレイアウトの複雑さに、給油所としてどういう動線の配慮があったのか首をひねる。だが、その奇妙さがかえってこの建物への興味と愛着をかきたててしまう。

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nari5まだ部分的に残っている防火壁をつぶさに見て裏側にまわると、JOMOの塗装が剥がれて共同石油時代の塗装が出てきているところを見つけた。

JOMOはENEOSとの経営統合により、7月頃から看板の掛替えや新塗装工事が行われる予定になっている。この給油所がもし生き長らえていたら、どんな塗り分けでENEOSの色を纏っただろうかと、そんなことを考えた。

スカイツリーの完成はまだ先のことだが、すでに周辺の地価はどんどん上昇していると聞く。この建物は言問通りと曳舟川通りが合流して浅草通りとまじわる交通量の多い交差点にあるので、このまま放置されることはないだろう。いずれ早い時期に取り壊されて商業ビルが建つに違いない。

2010年9月4日追記

ひさしぶりにこの場所を訪れてみると、予想通りこの建物はすでに取り壊されて、敷地はすっかり更地に整地されていた。それにしてもスカイツリーを撮影する人々の数はますます増え、その人々を当てにした飲食店や商店がどんどん増えているのにも驚いた。

ツバメの通う道

アルバム10年3月31日「ツバメの通う道」を追加

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fswr この給油所の整備室には開いたコウモリ傘が逆さに天井から吊るされている。何のためかと尋ねると、「ちょうどあの真上にツバメが巣をかけてるんで、お客さんの車の上にフンが落ちないようにしてる。」という返事。そういえばセールスルーム脇のトイレのドア付近にも巣箱がかけてあった。「ああ、あっちの巣箱は飾りみたいなもんだね。鳥はみんなこっちにきちゃう。」

給油所は鳥達が好んで造巣する条件が揃っている。接道面が大きく空にむかってひらけているので飛んで出入りしやすいし、キャノピーや複雑な形状の屋根は巣をかけるにはもってこいの雨除けとなる。

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この濃褐色のタイル壁が美しいMobilの給油所でも、整備室の天井にツバメの巣があった。「とつぜんバサッていう音がするもんだから、何だろうと思って見に行くと床に青大将が落ちてるわけさ。奴は鳥の巣を狙って壁づたいに登ってくるんだね。それはうまいもんさ。だけど天井は渡れねえな。ヤモリじゃないんだから。」

「毎年冬が近くなってツバメの一行が南に旅立つときは、毎年必ず店の前の電線に一列に並んでこっち向いて挨拶してから飛び立っていくんだ。可愛いもんだね。」

Mobilの給油所は庇の下に Mobil Service の立体文字が取り付けられているものが多い。その庇と文字の間の狭い空間に、小鳥は好んで巣をかける。
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この給油所ではService の i の文字と庇の間に巣をかけられたことがあったので、フンの落下を除けるためなのかその i の真下に小さな板が取り付けられていた。あるいはその板上に営巣を促そうとしたのかもしれない。(2008年9月撮影)

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ところが次に訪問してみると(2009年11月撮影)、目論見は外れてこんどは Mobil の l と庇の間に巣がかけられていた。大文字のSのてっぺんはさすがに落ち着かないと思うが、M や v の凹みなどは巣をかける足場としては具合がいいんじゃないかと思う。しかし意外にも日本全国どこに行っても鳥に好まれているのはきまって i か l の上だった。他のブランドでは文字はペイント塗りか耐候性のシート貼りでフラットに仕上がっているため、軒下にへばりつくように営巣しているものはあっても、立体文字のMobil特有の巣のかけかたは見られない。

ところで建物外壁の庇の下ならばよいとしても、 整備室内の天井に営巣した場合は、毎日の閉店後や休業日にシャッターを降ろしてしまうと、鳥は出入りできなくなる。どうしているのか聞いて見ると「夕方、鳥が出入りするのはだいたい営業時間のうちだからね。夜はシャッター閉めても大丈夫。でも朝は早いよ。開店の時間よりもうんと早くシャッターを開けてやんないとね。」

小鳥達のためにわざわざ早朝にシャッターを開けている人の姿を思い浮べた。

下町ワンダーボーイ

アルバム10年1月4日「下町ワンダーボーイ」を追加

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この給油所にはとにかく参った。写真うつりが良すぎるのだ。

どんな給油所でも、魅力的に見える角度とそうでもない角度がある。ガソリンスタンド・ノートに写真を紹介するときは、当然いちばんいい写真を選ぶ。ところがこの給油所はどの角度から撮影したものも魅力たっぷりに見える。どうしてもこれという1枚を選ぶことができないのだ。

それは二階部分がゆるやかなカーブを描く扇形をしていることに理由がある。約60度の角度を持つ二面接道というレイアウトがシャープな印象を与えていることにもある。昨年塗装をしなおしたばかりで、建物や防火壁の色つやがちょうどいい状態に保たれていることにもある。もちろん店主さんのこの店舗への愛着やいたわりがすみずみまで行き届いていることにもある。しかしこの給油所には持って生まれた無邪気な明るさのようなものがあって、それがどんな角度からも感じられてしまうのだ。

もうひとつ悩まされたのは、この給油所が面している交差点の交通量の多さだ。もちろん行き交う車の数が多いだけなら、ここよりもにぎやかな交差点は都内にいくらでもある。
いつも道路越しに給油所を撮影するときは、両方の耳をすましてファインダーを覗く。目はアイピースに付けたまま、左右それぞれの耳で接近してくる車の走行音に注意してタイミングをはかり、 ちょうどどちらも途切れる瞬間を予測してシャッターを押す。かなり交通量の多い場所でも、しばらくタイミングを計っていれば必ずチャンスはある。
ところがこの給油所が建っている街角は自動車の走行音に耳を澄ませているだけでは失敗する。音もなく通り過ぎる自転車や、次々と道路を横切っていく歩行者が多く、いまだ!とシャッターボタンを押しても、相当な頻度でファインダー視野の中にいきなり飛び込んでくるのだ。

店主さんから「夜もとてもきれいですよ。」と教えてもらったので、三度目は日が暮れてから出かけていった。ちょうど一日の営業を終えて閉店準備中だったが、道路の反対側に三脚をたてて慎重にアングルを決めた。三脚を使えばファインダーをずっと見ている必要はないので、車や自転車や歩行者が6つの道のどっちから接近してきて前を横切ろうとしても気が付きやすい。

ところがこんどは夜道で三脚をたてている人間に不思議そうに歩み寄ってくる人がいる。自転車で通りかかってわざわざカメラの前で止まり、けげんそうに凝視していく人がいる。無理もない。だが通行人の視線が気になってシャッターを切ることができない。

まだまだ修業が足りないと痛感した。

最後に挨拶

ガソリンスタンド・ノートの09年2月15日のアルバムで紹介した茨城県のESSO給油所を久しぶりに訪れた。前回の訪問も真冬のよく晴れた日だったが、今回も抜けるような青空がまぶしくて目を細めないといられないくらいだ。

ra1到着してまず気が付いたのは、計量器が一台、新しいものに入れ替えられていたこと。前の計量器も味わいがあったが、新しい機械が入って給油所の活気が見えるようでちょっとうれしくなった。

ところがセールスルームに挨拶に入っていくと、「ああ、よく来てくれました。実は連絡しようと思っていたところなんですよ。」と意外な言葉。聞けばESSOとの契約が年内で打ち切りになり、楕円のサインポストも降ろしてしまうのだという。新年からはプライベートブランドで営業を続けていくが、セールスルームの外壁も入れ替えたばかりの計量器も、ESSOの商標はすべて消されることになるらしい。ESSOが個人経営の給油所を整理にかかっているのはいまに始まったことではないが、この年末でブランド転換や廃業に追い込まれる個人経営のESSO給油所はかなりの数になると思われる。

この楕円のサインポストと階段状の防火壁の組み合わせが生むどことなくエキゾチックな風景が好きだったのだが、これを見られるのももう今日が最後だと思うと悲しくなった。店を退去する前に、このサインポストを見上げて最後の挨拶をした。思えば子供の頃、父親に連れられて給油に行くたびに、車の中からこのESSOの楕円の看板をずっと見上げていたのだった。

ネクタイを締める理由

アルバム09年12月29日「ネクタイを締める理由」を追加

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「ネクタイ締めてると、ほれ冬場は暖けぇ(あったけぇ)んさね。」というのはもちろん照れ隠しだ。ここは国道からは離れており、訪れる客はこの近所の顔見知りばかりである。ネクタイぐらいしなくても誰も文句を言う人はいないだろう。二度目に訪問したのはシャツ1枚になりたいような7月の暑い午後だったが、きちんとENEOSのカバーオールを着て子供用自転車のチェーンの引きを調整しておられた。そういう人柄なのだ。

ほとんどの客は給油が終わってもそのまま店主と立ち話をつづけて、5分たっても10分たっても去ろうとはしない。はじめて訪問したときも、カメラを抱えたままこの対岸の位置から、ずっと客が途切れるのを待っていたことを思い出す。

この給油所はもともとこの橋の完成と同時期に、現在の位置の対岸で開業した。数年後、新築移転したが、建築中の建物を見て村の人々は「ああ、やっと駐在所ができる」と勘違いしたそうだ。そのためではないだろうが、セールスルーム入口の頭上に、まるで表札のように防犯連絡所の標識が取り付けてあった。

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モービルの痕跡

雨の土曜日から一転して快晴となった日曜日、旧道を走っていて小休止しようとスクーターを乗り入れたコンビニの駐車場。あ、この照明灯、モービルだ。

見渡すと隣のマンションとの境界にも、反対側のサインポールの下にも、同型式の照明灯が残っている。

このサインポールの支柱フレームも、もしかするとモービル時代のものの流用かもしれない。かつてはこの上にMobilの白い電飾看板が乗っていたのか。 さらには元は防火壁だった駐車場の壁も、よく見るとウレタン塗装が剥がれてきていて、塗りつぶされたオリジナルのタイルが出ている。昭和50年代に採用された通称「シャモト・タイル」のイエロー・オーカーだ。タイルを覆う塗装は二層。下の層はグレー、上の層は後期色のMobilベージュがはっきりとわかる。

廃業店舗の転用としては、すっきりとした業種転換ができていて、無理な改築もない例だった。

いつも外を見ていた

アルバム09年11月29日「いつも外を見ていた」を追加

遠くから見えたときにすでに「ああ、これは元はMobilではないな」とわかっていた。セールスルームの建物にも、キャノピーにもMobilらしい特徴がどこにもない。しかしそんなことはもうどうでもいい。こんなに魅力たっぷりのキャノピーを見たのはひさしぶりだ。

お店の方に聞くと、予想通りMobilになる前は丸善石油だったという。開店したのは昭和40年代のはじめで、当時はキャノピーがまだめずらしい時代だった。 ブランド意匠によるキャノピーデザインが定着する前の時代には、給油所設備メーカーが独自設計で施工したものや、経営者が地元の工務店に設計施工を依頼したものなど、個性的な形や構造を持ったキャノピーが続々と作られた。

このキャノピーは小判形のルーフ部分を2つの脚部で支えている。ルーフ部分は帯状の外枠の中に、折り鋼板をはめ込んであるが、中央で二分割してそこにむけてわずかな勾配をつくり、 あつめた雨水をフレームの一部のように見える雨樋から目立たないように逃がすことで、外観を損ねずに降水の処理をうまく解決している。

それぞれの脚部は美しいカーブをもった4本のパイプで構成されているが、そのバランスのよい組み方は、まるですらりと背の高い二人の天使が、並んで腕をひろげ、歌をうたっているようにも見える。実際にはもう一本基礎となるパイプが中心にあり、それを四方から囲むように4本のパイプが配されている。さらに全体の高さの7割ほどのところで中心のパイプは抑えてあるので、上部は曲線部だけが四方に広がっているように見える。

この給油所のもうひとつの魅力は、3台の異なる計量器が左から右へ、まるでこの給油所の歴史を語るように順に並んでいることだ。左端の軽油用として使われているトキコのSS23型は、もうすでに30年以上現役と思われるが、長年使い続けて無数の傷がついたステンレスのサイドパネルや油がしみこんだ塗装面は、思わず手を当ててさすりたくなるほど美しい。
道路越しにシャッターを切っていると、信号待ちのバスが止まって視野をふさいだ。今日は休日。がらがらに空いたバスの最後部の席に乗っている高校生はこれから部活に向かうところなのだろうか。やがて信号が変わり、バスは町に向かって走り去っていった。