Archives for 2nd Story | ガソリンスタンドの二階

食堂大衆−食堂シリーズ [17]

「大衆食堂」ならよくあるが、これは食堂「大衆」である。大衆と言う名前の食堂は珍しい。

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東北地方のとある小都市。旧国鉄駅近くの路地。朽ちかけた平屋建ての建物に、ちょっと不似合いな西洋様式の柱が二本。もとは食堂ではなく、遊技場かなにかだったのかもしれない。すでに閉店してから二十年以上は経っていると思われる。
スチール製の黒いパイプの脚が四本ついた丸椅子をひきずる時の、ズコッという音が聞こえてきそうだ。

石橋食堂−食堂シリーズ [16]

すでに旧道となった一桁番号の国道と幹線県道が交差する四つ角に建っている廃業した大衆食堂。
角地にあってゆったりとした敷地のレイアウトは、街道を往き来する運転手達で賑った時代を偲ばせる。

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入り口の引き戸が半分開いている。軒下にならべられた椅子は、かつてこの店を切り盛りしていた老夫妻が、いまは行き交う車や人を眺めながら静かに時をすごすためのものなのか。その椅子の置かれた微妙な距離にふたりのはにかみを感じる。そう勝手に想像しているだけで夫婦なのかどうかもわからないのに。

夢のコラボレーション 美容室建築 [45]+食堂シリーズ [15]

朝からずっと雨が降りしきる中、東京に戻るために山中の国道を小さなバイクで南下していた。交通量は多くないが、ときどき大型のトラックとすれ違うと、三角の壁のような水を頭から浴びせられ、そのたびに体勢をたて直すのに苦労した。
まだ今日の行程の4分の1も走っていないのに、とっくに雨中の走行に飽きていた。このままどこまで走り続けられるのだろうか、今日は東京に戻ることができるのか、そんな不安を抱えながら、ただアクセルを開いていた。

小さな上り坂の頂上で左にゆるくカーブした先に、一軒の床屋が見えた。あたりは緑濃い谷間になっていて、人家の少ない山中に床屋があることじたい目を惹くものだったが、通り過ぎて数秒後に、その建物の横壁に食堂という文字が大きくペンキ描きしてあったような気がした。

あれは床屋ではなく、食堂だったのか。いやたしかに三色の床屋の回転灯が点いていたはずだ。後続車がいないことを確認して減速し、Uターンした。店の前を再び通りすぎる。たしかに床屋のようである。しかし引き返してきた方向からは壁の文字が見えない。50mほど行き過ごして停車し、ゆっくりと振り返ってその壁を見て仰天した。

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これまでこのブログでは数多くの美容室(床屋・理髪店)建築を紹介してきた。同時に大衆食堂の建物も何度も取り上げた。そのいずれもが、ロードサイドでいつも自分が興味を持って探してきた対象だった。しかしその二つがハイブリッドになった建物があろうとは、想像もしなかった。

これは雨中に見た幻覚か、あるいはお伽話だったのだろうか。
自分がいま川からあがってきたばかりの河童のようにずぶ濡れでなければ、このドアを開けていたかもしれない。しかし夢や幻覚はみだりに触らぬほうがよい。次にここを通りかかったときに、二度とこの建物が見つからなくても、それはそれでよかったと安堵するに違いない。

いつも、あとで知る

アイルランドの西南の海上にSchellig Michael(スケリッグ・マイケル)という巨大な岩のような島がある。ほとんど切り立った岩だけで出来ていて、円錐形の島の頂上には6世紀頃に作られた石積みの修道院の跡があるが、もう何百年も前からこの島は無人となっている。

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本土から遠望したスケリッグ・マイケル。大中小と三つの島が見える中で、左端の大きな島がスケリッグ・マイケル。やや重なっている中央の白っぽい島が小スケリッグ、右手前にある小岩礁は名前もついていない。

もう10年以上前にこの島に渡ったことがある。
島は16キロほどの沖合にあり、アイルランドの本土からも遠目に見える。たまたま近くの海岸を通りかかって眺めたその孤高の姿に惹きつけられて「あの島に渡る方法はあるのか」と地元の人に聞いてみると、渡船があるという。島に渡る船はPortmageeというさびれた漁村から出るが、村には簡易郵便局とよろず屋のような商店が二軒ほどある以外は、銀行もガソリンスタンドもない。
船に乗る前に「島には何もないから、せめて水ぐらいは買って持って行け」と言われて、よろず屋でミネラルウォーターを買った。わずかな食料品と最低限の日用品が棚に並べられた寂しげな店だった。
岸壁で出港を待っていると、どこからか人々が集まってきて、出港前には小さな船は7人ほどの乗船客で一杯になった。それでもどうやらちょっとした観光名所にはなっているらしい。

島までは1時間ほどかかる。無人島であるが、コンクリートで護岸された簡単な船着き場がある。船頭は乗船客を降ろすと「2時間後にまた迎えにくるから、それまでには必ず船着き場に戻ってくるように」と言い残して沖に去って行った。残された人々はただちに石積みの急な山道を登り、標高200m余の山頂付近にある修道院跡を目指すのだが、聞いていたとおり、島には小屋一つ見当たらないしトイレもない。(実際にはその時そこからは見えなかった島の南西側に、灯台の建物があることを後日知ったが、いずれにせよ無人であるのは確かなようだった)

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上陸地点から渡船と本土を振り返る。右に見えるのが小スケリッグ。小スケリッグは島全体が西ヨーロッパでも有数の海鳥のコロニーとなっており、そのフンで岩壁が白く染まっている。

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島の頂上付近には石積みの修道院の遺跡がある。遺跡の概要を説明するための小さなプレートが申し訳程度に石壁に針金でくくり付けてある以外は、目立つような看板も順路表示もなかった。

島は正確には大小二つのピークからなっていて、高いほうの頂上付近に修道院の跡があるが、平坦な部分が少ないこの島でも他にも場所がありそうなものを、意図的にこの急峻な斜面に修道院を建立したのは、すこしでも天に近づこうとしたからだろうか。そして大西洋の大海原しか見えない南西側ではなく、わざわざアイルランドの本土を遠く望むような場所を選んだのは、たとえばあえて俗世界が存在する本土を遠望させて隔絶感や孤立感をかりたて、対比的にこの島の神秘性を高めるような、なにか宗教的な理由があったのだろうか。

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作物を育てる土も十分にない岩だらけの島で、修道者たちはどんな過酷な修業をし、どんな思いで遠くにかすむ本土を見ていたのだろう。病気になれば祈ること以外に方法はなかったはずである。そんなことを考えながら遺跡の中にいると、あっという間に時間が経ってしまい、あわてて急な石段を降りて帰り道を急ぐことになった。船着き場に戻るとすぐに渡船が戻ってきて、船頭は客の頭数を数えて誰も居残っていないことを確認してから、もやいを解いた。

その日はPortmageeから2時間ほど車で走った海辺の街に投宿した。宿の女主人に今日はどこから来たのかと聞かれたので、Caherdanielから海沿いにやってくる途中で、Schellig Michaelを遠望して、そこにどうしても行ってみたくなり船で渡ったと答えると、「それはすばらしい。今日はお天気も最高でよかった。あの世界遺産の島に渡るチャンスはなかなかない」と言った。世界遺産だと?あれが世界遺産なのか、と聞くと「ええ、知らなかったの?」と不思議そうな顔をされた。

いつも旅行するときは紙の地図は持ち歩くが、そもそもガイドブックなど荷物が増えるだけだし興味もないので読んだこともない。地図にはWorld Heritage(世界遺産)という表示はどこにもなかったし、そういえば途中でけばけばしい土産物屋も立て看板もみかけなかった。その日、同じ船に乗り合わせた私以外の客達は、誰もがみな世界遺産だということを知って乗船していたのだろうが、船頭もひとこともそんなことを言わなかった。

おそらくPortmageeの村に世界遺産をあてこんだ土産物屋のひとつでもあれば、その時点で船に乗ることはなかったかもしれない。しかし夕餉の席で一日を振り返り、その日たまたま訪れた非日常的な光景が実は世界遺産であったことを知らされるのも、まあ悪いものではなかったような思いがした。いつもそういうことは後で知る。名声とか他人が下した評価とは無縁のところを選んで生きてきたのだから、それは仕方がない。

【追記】その後、この島にも訪れる人が徐々に増え、2009年には観光客が死亡する滑落事故が5月と9月の二度発生した。石積みの登山道は手すり柵もロープもなく、景観を犠牲にしても安全対策をすべきか、渡航制限を設けるべきかという議論がされたようだが、現在はどうなっているだろう。

ランドリーを巡った日

しばらく前にロンドンに数日滞在する用事があって、半日ほど時間の余裕ができた。もとより観光名所はどこにも行くつもりがなかったが、ロンドンの市民が普通の生活をしている街並みを見物しに、ただ気のむくままに車を運転してぐるぐると走りまわってみようと思い立った。

もちろんロンドン市内といっても、地域によってその風景は大きく異なる。治安の悪い場所も多いし、運転していて楽しい街中の風景もあれば、あまりパッとしない場所もある。市の中心部は渋滞緩和のために、日中は登録された車両以外は侵入できない交通規制が敷かれているが、その内側は駐車にも苦労するし、わざわざ自分で車を運転して行くような場所でもない。
ロンドンは過去に二度しか来たことがなく、街の地理に詳しいわけではないが、とりあえずその規制区域の外側で適当にスタート地点を決めて走り出した。車にはもちろんカーナビなど付いていない。

スタートして1時間も経った頃、通りすぎざまにふと左に目をやった横道の奥に、思わず声をあげたくなるような建物がチラリと見えた。あわてて引き返してからその通りに入りなおして車を止め、その壁に取り付けられたネオンサインを見上げた。夜の闇に浮かび上がるだけでなく、日中の明るい陽射しの中でも十分に人目を引くことを計算したデザインだ。おそらく50年ぐらい前に、もとからあった古い赤レンガの建物の側壁に取り付けたものだろう。しかしいまここにプールやランドリーがあるようには見えない。

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後で調べてわかったことだが、これはHornsey Road Bath & Laundryという1895年に建てられた公衆浴場の建物だった。公衆浴場といっても日本の銭湯のようなものではなく、バスタブ付きのたくさんの個室と水泳用のプール、洗濯場を備えたもので、19世紀にロンドン市内に何ヶ所も建設された施設のひとつである。この建物は第二次世界大戦中の空爆で大きな被害を受けたが、60年代になって修復再建された後、1991年に閉鎖されるまで営業を続けた。その後、大規模なリノベーションが行われ、2009年にオフィス、アパート、保育所などがある複合施設として生まれ変わったのが現在の建物だが、かつてのプールやランドリーは今はない。それでもあえてこのネオンサインを残したのは、この地域のランドマークとして、人々に長い間親しまれてきたからだろう。

すらりと伸びた健康的な女性のシルエットにしばし見とれているうちに、パーキングチケットを10分しか購入していなかったことに気づき、あわてて車に戻った。ここから元来た通り(Seven Sisters Road)に戻るには、その先で右折を二度繰り返せばよい。このあたりは袋小路が多く、先まで通り抜けられるように見えても、途中で意図的にブロックしてある裏通りもあるから、遠回りのように見えてもある程度大きな道を選んだほうが失敗しない。そしてその計算通りに右折を二度繰り返したところで、こんな店舗にばったりと遭遇した。まったく朝からなんという日だ。

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これはクリーニング屋兼仕立屋だろうか。客が自分で洗濯をするわけではないが、ランドリーという範疇に一応入る店舗だ。ショウウィンドウに見えるように、婚礼衣装も仕立ててくれるのか、あるいは貸衣装の取り次ぎもやっているのかもしれない。
この四つ角にはそれぞれ商店があるが、その他は三階建てのやや古い住宅が建ち並ぶ地域。看板と装飾テントの色と、二階部分のレンガの色合いの調和もよく計算されているが、なんども改装をくりかえして現在の形になったに違いない。重厚な色の組み合わせが印象的であるが、華美ではない。しかしどことなく街並みから少し浮いているのは、住民の層が長い年月の間に変化したからだろうか。

さて、わずか小一時間の間に、見ごたえのある建物にたてつづけに二つ出会ったので上機嫌になり、次はどの方角へ向かうかと考えたところで、それならひとつ今日はランドリーを探してみようじゃないかと決めた。そしてとりあえず近くのバス通りまで出てから、ランドリーらしき店がありそうな街並みを探していたところ、ああ何ということだろう、5分も走らないうちに今度はこんなコインランドリーを見つけてしまった。

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ゆるやかな坂道の下にあるY字路の鋭角という絶妙の立地。王冠のようなその造形。ところどころ壊れてはいるが、青い地色によく映える木製の白い切り文字。そしてチェッカーのタイル。赤いレンガとのコントラストも申し分ない。朝からこんなに素晴らしい建物につぎつぎと遭遇できた幸運をかみしめる。

東京以上に交通渋滞のひどいロンドンで、わざわざ自分で車を運転して街を見てまわるとは、何を酔狂なと笑われそうだが、これはガイドブックをたよりに地下鉄や二階建てバスを乗り継いでいたのでは、決して味わうことのできない興奮であり、自分でハンドルを握った者の特権なのだ。そして事情さえ許せば、車ではなくスクーターで廻りたい愉しみでもある。しいて難をあげれば、途中でふらりと街角のパブに立ちよって、ビールで喉をうるおすことができないくらいか。そしてこういう日は空腹も忘れているので、とうとうランチを取らなかったことに、夕方になってやっと気がつく。

こんな日はそう度々はないのだ。だが一年に数回、大当たりを引く日がかならずある。その当りの日を夢見て、異国の街を、東京の市中を、日本の地方をいつも彷徨っている。

窓のにぎわい – 食料品店建築 [8]

アイルランド共和国はヨーロッパの西辺にあって、20年ほど前まではヨーロッパの最貧国の一つと言われた国である。しかしそこに暮らす人々の表情は屈託なく、訪れる人を暖かく迎え入れ、はじめて訪ねた土地でありながらずっと前から知っていた場所のような居心地のよさを感じさせてくれる国だ。

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これは10年以上前にアイルランドを旅行したときに撮った写真。食料品店の窓に板が打ち付けられ、そこにあたかも商品が陳列してあるかのように素朴な絵が描いてあった。寂しいショウウィンドウにせめてもの賑わいを加えたいと考えたのか、それとも地元で多少絵に心得のある若い人が絵筆を奮うことができる場所を店主が提供してくれたのかわからない。だが、この素朴な筆致にはどこか心休まるものを感じる。

ときどき思い出してはこの写真を見るたびに、またアイルランドに行きたくなる。

美容室建築 [44] 蔵の街の理容室

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関東平野の縁に点在する小都市の一つ。古い商家や土蔵がいまも残る街並みの中にある床屋建築だが、この街を訪れる観光客は保存された歴史的な建築にばかり目を取られ、このモダンな建物の存在に気付く人は少ないようだ。 
店舗部分の一階よりも、曲面ガラスまで用いた二階部分がどのようになっているのか、想像が膨らむ。

両備バスの四辺形

岡山県に両備バスというバス会社がある。おもに岡山県南部を広く営業範囲としてバスを運行しており、東京や大阪、四国方面にも長距離バスを走らせている。

数年前に岡山を旅行したときに、両備バスの停留所標識の造形が目にとまった。丸いプレートに停留所名が書いてあるところまでは、よくある古いバス停標識と同じなのだが、それを支えているフレームが特徴的な四辺形をしている。標識じたいは古いものなのだが、その時代の人が夢見たモダンな造形のひとつがこういう形だったのかと思わせるようなものだった。

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それから日本の各地でたくさんのバス停標識を目にしてきたが、両備バスの標識のことは忘れることがなかった。数十年も前に、おそらく岡山県下のどこかにこの標識を製作している作業所があって、できあがった標識のひとつひとつに、仕様書にしたがって白い塗料を含ませた筆で停留所名を書き込んでいる熟練の職人がいたはずなのだ。岡山を再訪するたびに、同じ標識をみつけてはその筆跡を眺め、記憶にあるものとの微妙な違いを楽しんだりした。しかしこの古い形のバス停標識はしだいに新しいものに置き換えられ、徐々にその同胞の数を減らしていることにも気づいていた。

過日、ひさしぶりに岡山県下をまわる機会があった。真冬にしては暖かい陽射しの中、牛窓から日生に向かう途中の県道で、両備バスの停留所小屋を見かけた。

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あのバス停標識のフレームと同じように傾斜した四辺形の造形である。板とトタンで囲っただけの窓もない簡素なものだが、中のベンチに腰掛けていても遠くからバスがやってくるのがよく見渡せる。どうやら両備バスには、ある時期にこの形を使ってバス停でバスを待つ時間を、すこしでも楽しいものにしたいと考えていた人がいたようだ。それがいつの時代の誰であったのか自分にはわからないが、その人が両備バスのオフィスで机に向かって図面を引いていた姿や、できあがりを確かめに営業所に足を運んだことや、バスの乗客となるために停留所でバスを待ちながら自らの設計を眺めていた日のことを思い浮かべたりした。

岡山県内をかなり時間をかけて回った後で、ふと両備バスの本社を見てみたくなった。別に誰に会うという用件があるわけでもない。ほんの思いつきのことである。調べてみると両備バスの本社は岡山駅からほど近い県庁通りという中心街にある。ひとまずコインロッカーに旅の荷物を預けて身軽になり、駅から歩いて5分ほどのその場所に向かった。そしてその真ん前に達したとき、私は思わず唸り声をあげずにはいられなかった。

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そこだけ空が大きく開けたように感じる低い二階建ての社屋の中央に、サンルームのようにはめこまれたガラス張りの構造は、またしてもあのバス停標識や停留所小屋と同じ傾斜した四辺形だった。
もしかするとこの社屋やバス停や停留所小屋は、私の知らない著名な建築家によってデザインされたものなのかもしれない。しかし地方のバス会社が遠い昔に仕掛けていた造形の符合に、いまようやく気づいた愚か者にとっては、それはどうでもよいことだった。
この本社から県庁通りを東に500mほど行くと、天満屋バスターミナルがある。戦後まだ間もない頃に、モータリゼーションの時代を見越して百貨店に隣接してバスターミナルが作られ、そこから岡山市内、近郊、県下の各地からバスが到着しては、また出発して行く光景が今日までずっと続いている。
市内に勤める人は何十分もバスに揺られたあとで、あの形の標識のバス停に降り立ち、そこから家路につくのだろうか。瀬戸内の暑い陽射しが照りつける真夏の正午近く、老婆はあの小屋の日陰にいっときの涼を求めるのだろうか。
岡山で暮らす人々のバスをめぐる日々の生活についての思いがいつまでも止まらなかった。

【追記 1】
この社屋前にはバス会社としての遊び心のつもりなのだろうか、英国の二階建てバスがディスプレイされている。しかしその赤く大きな車体は、この清廉な美しさをもった社屋の眺めをさえぎる余計な障害物にしか見えない。

【追記 2】
両備バスの古いバス停標識には、人型のものもある。正直なまでに人の型をしていて、これもまた微笑ましい。

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美容室建築 [43] 宿場町の理髪店

宿場町として知られた町の中心からちょっと脇に入った住宅地の中にある理髪店。このシリーズの読者の方から教えていただき、さっそく訪問した。

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ドアを開けると、石油ストーブの上に乗せた薬缶が湯気をたてていて、理髪店独特の整髪料や乾いたタオルの匂いが、ストーブの暖気でさらに強調されて感じられる。
丸椅子に腰を掛け、テレビを視ながらお客さんを待っていたのは、年配の女性店主。店内は広いが、年季の入った理髪台がその中央に一つだけ据えられていて、面白いことに床は板張りで、履物を脱いで上がるようになっている。

外から見ると、板床の高さで正面の窓は掃き出しになっている。そして前傾するように窓ぜんたいに傾斜をつけてあるところが、ちょっと粋である。
自分が子供の頃住んでいた町内にもこれとよく似たデザインの家があって、昭和30年代初めの建築だったことを思い出し、この理髪店の開業した年を聞いてみると、まさしく昭和32年という答えだった。

夢の看板

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あたりまえのことではあるが、オモチャ屋の看板ほど子どもの心を踊らせるものはない。
この看板はすでに使われなくなった店舗の屋根で朽ちようとしているが、なかなか手の込んだアクリル板の曲げ加工と貼り合せがしてある。今はこんな手間のかかる方法で一点物の看板を作る時代ではないし、作る職人もほとんどいないだろう。
小さな町の小さなオモチャ屋が、ずいぶんと凝った看板を作らせたものだと、感心しながらしばらく見上げていた。

美容室建築 [42] 会津の理髪店

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会津地方のとある町の裏通りにあった建物。すでに屋号や看板はなく、回転三色灯がなければかつて理髪店であったこともわからないような店舗だが、それでもよく見ると窓の作りやぜんたいの造作に、床屋らしい雰囲気があふれている。
入り口の扉は引き違い戸になっているが、それにしては間口が中途半端な幅なので、もとはおそらく親子扉(幅が大小異なる両開きドアで、幅の狭い子扉のほうは通常固定しておく)だったものを廃業後に取り換えて補修したものかもしれない。

あらためて見ると無愛想なほどに実直で端正な表情をしている。会津の人の性格を映し出しているようだ。

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美容室建築 [41] 富士山の見える理髪店

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商店街が住宅地にとけこんでいくあたりにある理髪店。屋号にあわせて白雪を冠した富士山がレリーフになった看板が目に飛び込んできた。
かつては角タイル貼りであっただろうと想像される部分はレンガタイルで新しく改修され、窓も換装されているが、そのみごとな看板だけは長年ずっとこの店の顔としてお客さんを迎えてきた。

店主さんご夫婦にうかがうと、理髪店として営業中だったこの店を、昭和の初めに先々代が引き継いだときにはすでにこの形だったそうだから、建物自体は確実に80年以上は経っているようだ。店の中にある大鏡をいちど取り外したところ、鏡の裏から昭和7年の日付の新聞紙が出てきたという。このあたりは戦前はそれほど建て込んだ場所ではなく、高台に位置していることもあって、ほとんど空襲の被害を受けていない。
「昔はこのへんからも富士山がよく見えたんですよ。」
それが屋号の由来である。

夢中で撮影してから帰宅して、あらためて写真を眺めていると、なんと屋根の上にももうひとつ富士山が見えることに気づいた。職人がこっそり仕掛けた二重の富嶽である。

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美容室建築 [40] ガード下のパーマ屋

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会社の昼休みにいつもとは違う道を歩いていて偶然発見したと、友人が教えてくれたパーマ屋。

大都会の真ん中、JRに私鉄線が接続する駅から歩いてわずか数分の場所。かつては私鉄線が路面を走っていたところが高架になり、そのガード下に近い場所にいまもひっそりと残っている。南側に新しく大きなビルが建ったこともあって、あたりは昼間でもすこし薄暗い。
すでに営業を止めているが、典型的な町の美容室の造りだ。昔はどこの街角でも見られたようなスタイルでありながら、いまではほとんど見かけることが少なくなってしまった。普通のありふれたものほど、誰にもかえりみられることもなく、いつのまにか消えていってしまう。

中にはぼんやりと電燈がついている。表には赤い自転車が三台。そして高齢者用の歩行補助器。昭和20年代の終り頃にここでパーマ屋を開いた女性とそのご家族が、いまも生活しておられるに違いない。

美容室建築 [39] 瀬戸内の理容室

瀬戸内海に面した古い町で見かけた理容室。
扉は新しくアルミ製のものに付け替えて補修してあるが、窓枠はすべて木製。だがそう古い建物ではない。おそらく昭和35年から40年頃のものではないだろうか。

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理容室建築では、入口の扉部分を斜めにセットバックさせて呼び込む様式が多いが、この建物では入口を二面接道の角に配置し、右手横の部分を斜めに引き込んで、そこに生じた側面も採光のために利用している。

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そして逆の側からさらによく見ると、入口扉の面もセオリー通りにわずかに角度を取って配置されているのがわかる。
現在は横丁をはさんだ隣は更地の駐車場となっているが、かつては黒々とした低い木造の二階家屋が並んで、日陰の多い通りだったのだろう。横丁側の壁面もすべて窓にして、とにかく外光の確保に徹底している。

この日は休業日だったが、開店していれば、この建物は店内のどこに柱を取っているのか見せてもらいたかった。
軒下に活けられた黄色いユリが印象的だった。

美容室建築 [38] 門前町の理髪館

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由緒ある大きな神社の門前の街並みの中にある古い理髪店。
朝の光がふんだんにそそぐガラス戸を通して、熟練の老理髪師が忙しそうに鋏を動かしているのを見て、思いきって扉を開けてみた。聞けば昭和6年に開業して以来、ずっとこの建物で営業してきたという。80年以上経っているとは思えないほど手入れのよい建物だ。この小さな町で神社のつぎに古いのがこの店舗ではないだろうか。

そして屋号は理髪館である。また一つ、理髪店の呼び名が増えてしまった。

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