火山噴火がヨーロッパ全体の交通や経済に大きな影響を与えたことで、アイスランドに対する注目が高まっている。噴火の規模の大きさやその被害を伝える鮮明な写真が数多くネットワーク上に掲載され、それを見た多くの人が大自然の威力を知り、アイスランドとはなんと恐ろしい場所かと脅える。そしてこの島が世界の果てにあると勝手に考え、自分のいる場所がそこから遠く離れていることに安堵する。

だが、それは困る。
一昨年の世界金融危機で経済が破綻して国家は破産。そして今回の大噴火。人口わずか30万余の小国はまるで世の中に厄介や迷惑をまき散らすだけの島と思われている。しかしこれまであまり知られることのなかったこの島のことが、こういうネガティブな印象だけで語られることは困る。

5年前にアイスランドに行ってきた。滞在した4日間の記憶はいまもなお鮮明で色褪せることがない。それまで見たこともなかった風景が、これでもかこれでもかと視野の中に押し寄せてきた感動は忘れることができない。

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人口密度3人/平方km、しかしそれはあくまでも平均値であって、首都レイキャビクを離れれば、どれだけ走っても人が造った道路の上に居るという事実以外に人の気配のない荒野や溶岩台地が延々と続いている。

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黒々とした溶岩台地のほとんどは苔などの地衣類に覆われている。その苔の繁殖のようすがとにかく尋常ではない。

アイスランドには森林がほとんどない。しかし苔だけは無尽蔵に生えている。苔は土壌がなくても水と空気だけで生育する。他の植物の生育が限られていても、苔だけは豊富な植生の事情は、アイスランドという島が太古の地球に近いきわめて若いものであることを示している。火山や間欠泉もいたるところにあるから、人間で言うと中学生だ。

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おそるおそる足を踏み入れると、このようにズブリとめり込むほど苔のカーペットは厚い層をなしている。実は当時、苔を育てることに熱中していて、そのときの旅行でも先にフィンランドとアイルランドを回ってそれぞれの土地ですばらしい苔を見ては感動していたのだが、最後に訪問したアイスランドで呆れるほどの苔を見て、以来苔の飼育はやめてしまった。もう一生ぶんの苔は見た。苔に飢えたら、またアイスランドに行けばいい。

とある小さな町の入口で給油したとき、ガソリンスタンドの隣にドーナツを売る店があって、美しい若い女性が店番をしていた。運転しながらでも食べやすそうなボール型のドーナツがあったので、3つ買ってみた。町を離れてしばらく、また荒野に入ったところでそのドーナツを食べてみると、信じられないほどおいしかった。さっくりとした食感といい、ほどよい甘みといい、思わずWow!と叫んでしまったほどだ。車を停め、Uターンをしてすでに20キロほど走ってきた同じ道を引き返した。また店に入り、「このドーナツをもう7個」と注文すると、さっきと同じ女性が「美味しかったんですね。その気持ちわかります。私もこれが大好きですから。」とにっこりと笑った。

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その時に目指したのは、アイスランド西部のSnaefellsnes半島。この半島の先端にある死火山はジュールベルヌの空想小説「地底探検」で、地下の世界に降りていく入口が存在すると書かれた場所だ。半島に近づくにつれて空が暗くなり、9月だというのに雪が降り始めた。翌日も翌々日もものすごい嵐で、半島を一周するのに一苦労した。あまりに北風が強いので、ハンドルをずっと北の方角に当てていないと車が真っすぐ進まなかった。風向きを考えて車を停めないとドアが開かないほど強い風だった。

写真を整理してみると、自分で思っていたほど写真が残っていないのに驚いた。ほとんどシャッターを切っていないのだ。しかしいまでも鮮明にさまざまな光景がよみがえる。まるで1000枚も2000枚も撮影したような記憶がある。写真を撮ることも忘れて、自然と格闘していたのか。あるいはその風景が有無をいわさず記憶の中に強引に入り込んできたために、写真を撮ったつもりになっていたのか。

いまでも氷島の記憶は薄れることがない。あの分厚い苔もいまは火山灰に覆われてドロドロになっているかもしれない。しかし何十万年も前から同じことを繰り返してきたように、数年もすればまた苔のカーペットは見事に修復されているはずだ。その頃もう一度あのドーナツを買いに行こうと思う。