朝からずっと雨が降りしきる中、東京に戻るために山中の国道を小さなバイクで南下していた。交通量は多くないが、ときどき大型のトラックとすれ違うと、三角の壁のような水を頭から浴びせられ、そのたびに体勢をたて直すのに苦労した。
まだ今日の行程の4分の1も走っていないのに、とっくに雨中の走行に飽きていた。このままどこまで走り続けられるのだろうか、今日は東京に戻ることができるのか、そんな不安を抱えながら、ただアクセルを開いていた。

小さな上り坂の頂上で左にゆるくカーブした先に、一軒の床屋が見えた。あたりは緑濃い谷間になっていて、人家の少ない山中に床屋があることじたい目を惹くものだったが、通り過ぎて数秒後に、その建物の横壁に食堂という文字が大きくペンキ描きしてあったような気がした。

あれは床屋ではなく、食堂だったのか。いやたしかに三色の床屋の回転灯が点いていたはずだ。後続車がいないことを確認して減速し、Uターンした。店の前を再び通りすぎる。たしかに床屋のようである。しかし引き返してきた方向からは壁の文字が見えない。50mほど行き過ごして停車し、ゆっくりと振り返ってその壁を見て仰天した。

matsutoko

これまでこのブログでは数多くの美容室(床屋・理髪店)建築を紹介してきた。同時に大衆食堂の建物も何度も取り上げた。そのいずれもが、ロードサイドでいつも自分が興味を持って探してきた対象だった。しかしその二つがハイブリッドになった建物があろうとは、想像もしなかった。

これは雨中に見た幻覚か、あるいはお伽話だったのだろうか。
自分がいま川からあがってきたばかりの河童のようにずぶ濡れでなければ、このドアを開けていたかもしれない。しかし夢や幻覚はみだりに触らぬほうがよい。次にここを通りかかったときに、二度とこの建物が見つからなくても、それはそれでよかったと安堵するに違いない。