これは25年前にニューヨーク州の北部で撮影した写真だ。BEEF HOUSE。なんというストレートな屋号だろう。日本ならさしずめ牛丼屋というところか。

BH1

当時こんなロードサイド・フードの店舗建築に興味を持って写真を撮っていた。日本でもルート66とそのロードサイドの風物は有名だが、僕が好きだったのはもっと無名の地方幹線道沿いの風景。映画に出てくるようなダイナーもまだあちこちに残っていたが、ダイナーよりもむしろ、こういうひなびた飯屋のようなものに強く惹かれた。18輪のトレーラーが夜通しエンジンをかけたまま駐車している広大な敷地の片隅で、グリーシーな匂いをまきちらしているような飯屋だ。

屋根の上の大きな看板は、合板の骨組みに貼り付けたトタン板に直接ペイントしてあり、最初は職人が文字を書いたものの、長い年月の間、塗り重ねてなぞるたびに、だんだんと下手になっていったのがかえって味わいを出している。TRUCK STOPと書いてある通り、お客の多くは腹を空かせたトラック運転手で、Roast Beef on Weckというのは、この地方の名物料理。キャラウェイの入ったドイツ風のロールパンに薄切りのローストビーフを挟んだものだ。

BH2

この写真を撮ったとき、この店はすでに廃業していたように記憶している。建物は荒れていないし、窓もそれほど汚れていないのだが、人の気配がなかった。おそるおそる窓ガラスに顔を押し付けて中を覗いて見ると、内部は整然と整頓されていて、砂糖入れには砂糖が半分残っていたし、紙ナプキンもしっかり充填されているのだが、明日からはまたお客さんがたくさんやってくるというような気配がなかったのだ。

屋根の上のコックの絵も、店内の壁にあった絵も、どことなく東洋人の顔をしているのが妙に印象的だった。東洋人の少ないこの地域で、中華料理屋でもないのに、なぜこんな顔をしていたのだろうか。

3月のよく晴れた午後だった。五大湖を渡って吹いてくる冷たい風が店の裏手にある大きな柳の枝を揺らしていて、灰色のしけた顔をした犬がよろよろと駐車場を横切って行った。車内のラジオはWYRK106.5にチューニングしてあった。そういうことを25年たった今もなぜかよく憶えている。
いまこの場所をもう一度訪れても、その痕跡も残っていないだろう。

附記:この写真はKodachrome 64で撮っていた。その頃はいつかフィルムが無くなる日が来るなど想像もしなかった。レンズはMicro Nikkor 55mm一本。これひとつで旅に出て、あらゆるものを撮っていた。愚か者はアメリカの広大な風景をマクロレンズで撮影していたのだ。いま考えるとなんだかとても滑稽だが、それはそれでよかったのかもしれない。