仕事でストレスがたまったり、ガソリンスタンド巡りの帰りにひどい渋滞に巻き込まれると、その夜寝る前に大藪春彦の小説に手を伸ばすことがよくある。

大藪春彦のハードボイルド小説は数多くあるが、昭和25年に朝鮮戦争が起こってから、昭和39年の東京オリンピックの頃までの時代を背景にしたものが大半を占める。彼の小説のファンは、タフでクールな主人公がさまざまな銃器を手にして巨大な悪を次々と懲らしめていく様子に欣喜するようだが、私はそういう要素以外に楽しみを見いだしている。それは主人公が復讐や懲悪の現場を移動する時間を計算しながら読むのだ。

たとえば昭島から葉山までは16号を使って約65キロあるのだが、これを大藪小説の主人公は1時間ぐらいで車で走破してしまう。いまなら真夜中でも2時間で着けば上出来、昼間渋滞していれば3時間以上はゆうにかかるルートだ。
あるいは都内から南房総白浜までは14号・127号で約160キロあるが、これも3時間程で着いてしまう。東京湾アクアラインはもちろんのこと、首都高小松川線もその先の京葉道路もなく、14号や127号は狭隘な浜街道だった時代のことだ。
まあまあ小説なんだから、と片づければそれまでの話だが、大藪先生はほら吹きなのか。時代考証がいいかげんなのかと多くの人は思うだろう。しかしこれはかなり正確な数字かもしれないのだ。

前に多摩地区のとあるガソリンスタンドの店主さんがこういう話をしてくれた。
「むかしはよ、オリンピックの前はよ、五日市街道なんかまだ砂利道でよ、小平あたりから新宿まで五日市街道で出て行くとすると、最初の信号が吉祥寺だ。で、その次の信号が高円寺で青梅街道に出るところだから、そのあと中野で1つ、中野坂上(山手通)で1つ、んでもう新宿だから5つか6つぐれーしか信号ないわけよ。なに?環八だって?そんなもんまだ出来てねーよ。早けりゃ30分かそこらだな。」
おそるべし。同区間の中央線の駅の数より信号のほうがはるかに少ない。

そういう証言を勘案すると、大藪作品に出てくる主人公の移動時間はあながち誇張ではない。それだけ当時は車も少なかったということだ。その道を主人公はイグニッションの配線をつないで盗んだ車で疾走するのである。アクセルを踏み込む足首には、あとで彼の窮地を救うことになる2つめの拳銃が隠してあるのだ。

ページをめくりながら、ガラ空きの街道をノンストップで走る爽快感にひたり、その日のストレスを忘れる。4号上りの越谷・草加市内、6号の柏から松戸まで、254号上りの新座から和光まで、246号上りの秦野から溝ノ口まで、渋滞の中を耐えて走った疲れが一気にふっとび、いつしか眠りに落ちる。