美容室建築 [54] – Courtney Barber Shop

沖縄に駐屯する米海兵隊基地の正門と県道をはさんだ真向かいに、平屋の古い商店家屋が数軒並んでいる。いずれも沖縄独特のセメントや漆喰でつくられた軒の低い簡素な建物の一群。そのいちばん端に基地の名前を取った床屋があったが、訪れたときにはすでに廃業していた。

近隣に軒を連ねている商店群の建物とほとんど同一の構造で、建具も共通していることから、最初から床屋として建てられたものではないようだ。強い日差しや季節的な防風雨を避けるかのように窓は小さく、面格子が取り付けられている。いずれにせよ内地の床屋のスタイルとは大きく異る。

もちろん基地の中にもバーバーはあるはずだが、それでも正門の前で米兵や米軍関係者を相手に、床屋商売が成立していた時代があったのだろう。シンプルなGIカットやクルーカットであっても、日本人の繊細でていねいな技術が好まれたのかもしれない。

美容室建築 [53] – ホット美容室

東京の複雑な地形には、尾根を通る大通りにビルやマンションが立ち並び、その裏側の谷間には河川の名残りにそって、くねくねと細い道が続いている場所がたくさんある。その窪地にいまも残る小さな商店街の端の、商店がしだいに民家と入り交じるあたりに、美容室の看板がなければ見逃してしまいそうな店舗が建っていた。いや実際のところ、何度もその前を通っていながら、これまでその店舗に気づいたことがなかったのだ。

2間半の間口を5等分して、半間の出入口、一間半の窓、そして半間の陳列窓を配した典型的な美容室建築のレイアウト。いま扉は閉ざされて確かめるすべもないが、入口をくぐると上がり框があって、まず履物を脱ぐようになっているはずだ。

ホットがどういう意味だったのか、そのあたりにご近所の年輩のご婦人でもいらっしゃれば聞いてみたいところだったが、配達のバイクが一台通り過ぎていったほかは、その時間はネコ一匹歩いていなかった。

美容室建築 [52] – Barber Shop New Standard

これまで多くの美容室や床屋を紹介してきたが、年季の入った古い建築だけを愛で、新しいものをすべて否定しているわけではない。

これは東京郊外の古い街道を走っていて、たまたま見かけた理容室。まるでアメリカ東海岸New England地方の避暑地にある小さな町のような光景だ。
建物のすみずみまで、置かれているもののひとつひとつにまで、オーナーの嗜好と意志がはっきりと具現化されている。それでいて過剰なものが一切ない。好きなスタイルを表現するために、あえて切り捨てたものがたくさんあったことがよくわかる。

ちょっと遠い場所だったが、いつか客としてまた訪れてみたい気持ちになった。

美容室建築 [51] 美容室フルカワ

世界的に有名な観光都市の中心を少し外れた静かな町並み。普通の人々が平穏に暮らすこの通りに足を踏み入れる観光客はいない。

美容室の看板がなければ、喫茶店やレストランと言われても疑うことはないだろう。
目をこらさなければ、4つの装飾テントがはめ込まれていることをうっかり見過ごしてしまいそうなほど、吹きつけ塗装の色とテントの色を自然に合わせてある。垂直方向に3本配したリブをU字にカットすることで、その前を通り過ぎる人の視線をさりげなくかわしながら、採光性を十分に確保することも実現している。実際になんどもその前を行き来してみると、角度によってファサードの表情が連続的に変化する。細粒の玉砂利で表面を仕上げたベース部分にリブが接続する内偶角のアールの付け方もなかなか心憎い。

なにげない市井の建物に込められた無名の工務店の仕事ぶりを愛でるたのしみは尽きない。

美容室建築 [50] ともえ美容院

飲食店街のネオンと喧騒を離れて、暗く細い路地をひとり歩いていると、偶然古い美容院の前を通りかかった。そこだけ明るく照らされているのは水銀灯でもあるのかと振り返って見上げると、ちょうどビルの谷間から顔をのぞかせた煌々と輝く満月の所為だった。
まるで油絵のような壁肌の陰影。
窓辺の花瓶と水差し。
月に咲く花のように。

美容室建築 [49] ビューティーサロン・モリタ

はじめて訪れた街にアーケード商店街があれば、できるだけ歩いてみる。アーケードの中も興味深いが、ひそかに楽しみにして探すのはアーケードと直交する細い脇道にひっそりと佇む店舗や飲食店だ。とくに脇の通りに店を構える小さな美容室や理髪店には、アーケード内の店とも、あるいは住宅地の中やバス通りに面した店舗とも異る一種特有の表情がある。

この店舗は窓面積を最大限に確保している以外は、とくに美容室らしい特徴もないように見えるミニマルなデザインで、ミルクホールや喫茶店と言っても違和感がない。
化粧ガラス(チェッカーガラス)を通してぼんやりと見える店内の様子は、まるで解像度の低いドット絵のようで、店の奥で人が動くたび、かげろうのようにゆらゆらとその影が揺れている。

自動車修理工場 [6] 北関東の整備工場

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私鉄線の踏切の遮断機が上がるのを待っている間、なにげなく目をやった道路沿いの建物にちょっと驚いた。
じつにみごとな扁額である。まるで篆刻のようでありながら、いまでも通用するポップな感覚の文字が、几帳面に一寸の乱れもなくトタン庇の上に並んでいる。モータリゼーションの波がこの地方にも押し寄せてきた頃に、新しい時代のゆたかな生活に対する人々の夢や、スピードへのあこがれを込めたこの文字は、地元の看板屋が考えたのか、それとも工場主がちょいと意匠には腕に覚えがあって自分で図面を引いたのか。

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工場主と看板屋が、首にかけた手拭いで汗を拭き拭き、図面を前に相談をしていたその日から、すでに半世紀以上は経っているだろう。
このあたりは関東平野のど真ん中で、最も暑い場所の一つである。

地方家具店の孤独

地方都市やその郊外を走っていると、ときどき地元家具店の大きな建物を見かける。
家具店というのはなにしろ扱う商品の一つ一つが大きいので、当然大きな建物を用意しなければ豊富な品揃えでお客さんを迎えることができない。

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地域随一の品揃えを維持していれば、婚礼や引越しのたびに堅実な需要があったのはすでに遠い昔。いまは北欧の倉庫式家具屋やネット通販に顧客を奪われ、大きな建物はひっそりとその役目を終えようとしている。

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この近くには巨大な国際空港がある。おそらく家具店の建物よりも空港のほうが後からできたと思われるのだが、いま建物はちょうど離着陸の進路の真下に位置していて、今日もアメリカに向かう飛行機、アメリカから到着した飛行機がつぎつぎと、この大きな文字の上空を通りすぎる。
家具屋の建物はちょっと物憂げな表情をした白い巨象のように、毎日国道の脇からその飛行機を見上げている。

美容室建築 [48] 国道交差点のパーマ屋

南九州の夕暮れ。県道から旧一級国道に出るT字交差点で信号待ちをしている目の前にあったパーマ屋。

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このささやかで控えめな、幅一間半にも届かない小さな建物が、そのすべてなのか。それとも右側に連なる大きな建物も含まれるのか。
赤信号で止まらなければ、パーマ屋であることに気がつかなかったかもしれない。
すでにかなり日が暮れてきた。ヘッドライトに集まる虫が、ヘルメットのシールドにぶつかっては無残な死を告げている。

夢のコラボレーション2 美容室建築 [47] + ランドリー建築 [3]

しばらく前に東北地方から東京に帰る雨の山中で、大衆食堂と床屋のコラボレーションに偶然遭遇して狂喜したという話 「夢のコラボレーション 美容室建築 [45]+食堂シリーズ [15] 」 を書いたが、こんどは美容室とランドリーのハイブリッドである。なにしろ美容室もランドリーも、ともにこのブログでずっと注目してきた建築様式のひとつ。それがみごとに一つになった建物にばったり出会くわしたのだから、思わずアッと声がでた。心拍数が一気に上昇し、興奮をおさえることができない。

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現在この建物の右半分はドライクリーニングの取次店となっているようだが、元々は個人営業のクリーニング屋だったのではないかと推測される。美容室もクリーニング屋もともに手元の作業をたすけるための採光が重要である。木造建築としての構造が許すかぎりに窓を多く取って採光性を確保しているだけでなく、それぞれ角に入り口を作ることで、狭い店内のレイアウトも有効に活用されているようだ。

木造の写真館

北国の肥沃な盆地の中心。とある静かな町の街道沿いで見かけた木造の写真館。

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二階の奥、そこだけ洋館風に設えた大きな窓と三角屋根の部分は、おそらく撮影スタジオになっているのだろう。

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玄関上方の板壁がアーチ型に変色しているのは、冬期に雪囲いをすると庇に積もる雪でその部分が覆われるからか。何十年も雪解けを繰り返さなければ、この模様は現れないだろう。

入り口には立て看板が出してある。もちろん今日も営業中だ。

食堂大衆−食堂シリーズ [17]

「大衆食堂」ならよくあるが、これは食堂「大衆」である。大衆と言う名前の食堂は珍しい。

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東北地方のとある小都市。旧国鉄駅近くの路地。朽ちかけた平屋建ての建物に、ちょっと不似合いな西洋様式の柱が二本。もとは食堂ではなく、遊技場かなにかだったのかもしれない。すでに閉店してから二十年以上は経っていると思われる。
スチール製の黒いパイプの脚が四本ついた丸椅子をひきずる時の、ズコッという音が聞こえてきそうだ。

石橋食堂−食堂シリーズ [16]

すでに旧道となった一桁番号の国道と幹線県道が交差する四つ角に建っている廃業した大衆食堂。
角地にあってゆったりとした敷地のレイアウトは、街道を往き来する運転手達で賑った時代を偲ばせる。

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入り口の引き戸が半分開いている。軒下にならべられた椅子は、かつてこの店を切り盛りしていた老夫妻が、いまは行き交う車や人を眺めながら静かに時をすごすためのものなのか。その椅子の置かれた微妙な距離にふたりのはにかみを感じる。そう勝手に想像しているだけで夫婦なのかどうかもわからないのに。

夢のコラボレーション 美容室建築 [45]+食堂シリーズ [15]

朝からずっと雨が降りしきる中、東京に戻るために山中の国道を小さなバイクで南下していた。交通量は多くないが、ときどき大型のトラックとすれ違うと、三角の壁のような水を頭から浴びせられ、そのたびに体勢をたて直すのに苦労した。
まだ今日の行程の4分の1も走っていないのに、とっくに雨中の走行に飽きていた。このままどこまで走り続けられるのだろうか、今日は東京に戻ることができるのか、そんな不安を抱えながら、ただアクセルを開いていた。

小さな上り坂の頂上で左にゆるくカーブした先に、一軒の床屋が見えた。あたりは緑濃い谷間になっていて、人家の少ない山中に床屋があることじたい目を惹くものだったが、通り過ぎて数秒後に、その建物の横壁に食堂という文字が大きくペンキ描きしてあったような気がした。

あれは床屋ではなく、食堂だったのか。いやたしかに三色の床屋の回転灯が点いていたはずだ。後続車がいないことを確認して減速し、Uターンした。店の前を再び通りすぎる。たしかに床屋のようである。しかし引き返してきた方向からは壁の文字が見えない。50mほど行き過ごして停車し、ゆっくりと振り返ってその壁を見て仰天した。

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これまでこのブログでは数多くの美容室(床屋・理髪店)建築を紹介してきた。同時に大衆食堂の建物も何度も取り上げた。そのいずれもが、ロードサイドでいつも自分が興味を持って探してきた対象だった。しかしその二つがハイブリッドになった建物があろうとは、想像もしなかった。

これは雨中に見た幻覚か、あるいはお伽話だったのだろうか。
自分がいま川からあがってきたばかりの河童のようにずぶ濡れでなければ、このドアを開けていたかもしれない。しかし夢や幻覚はみだりに触らぬほうがよい。次にここを通りかかったときに、二度とこの建物が見つからなくても、それはそれでよかったと安堵するに違いない。

いつも、あとで知る

アイルランドの西南の海上にSchellig Michael(スケリッグ・マイケル)という巨大な岩のような島がある。ほとんど切り立った岩だけで出来ていて、円錐形の島の頂上には6世紀頃に作られた石積みの修道院の跡があるが、もう何百年も前からこの島は無人となっている。

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本土から遠望したスケリッグ・マイケル。大中小と三つの島が見える中で、左端の大きな島がスケリッグ・マイケル。やや重なっている中央の白っぽい島が小スケリッグ、右手前にある小岩礁は名前もついていない。

もう10年以上前にこの島に渡ったことがある。
島は16キロほどの沖合にあり、アイルランドの本土からも遠目に見える。たまたま近くの海岸を通りかかって眺めたその孤高の姿に惹きつけられて「あの島に渡る方法はあるのか」と地元の人に聞いてみると、渡船があるという。島に渡る船はPortmageeというさびれた漁村から出るが、村には簡易郵便局とよろず屋のような商店が二軒ほどある以外は、銀行もガソリンスタンドもない。
船に乗る前に「島には何もないから、せめて水ぐらいは買って持って行け」と言われて、よろず屋でミネラルウォーターを買った。わずかな食料品と最低限の日用品が棚に並べられた寂しげな店だった。
岸壁で出港を待っていると、どこからか人々が集まってきて、出港前には小さな船は7人ほどの乗船客で一杯になった。それでもどうやらちょっとした観光名所にはなっているらしい。

島までは1時間ほどかかる。無人島であるが、コンクリートで護岸された簡単な船着き場がある。船頭は乗船客を降ろすと「2時間後にまた迎えにくるから、それまでには必ず船着き場に戻ってくるように」と言い残して沖に去って行った。残された人々はただちに石積みの急な山道を登り、標高200m余の山頂付近にある修道院跡を目指すのだが、聞いていたとおり、島には小屋一つ見当たらないしトイレもない。(実際にはその時そこからは見えなかった島の南西側に、灯台の建物があることを後日知ったが、いずれにせよ無人であるのは確かなようだった)

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上陸地点から渡船と本土を振り返る。右に見えるのが小スケリッグ。小スケリッグは島全体が西ヨーロッパでも有数の海鳥のコロニーとなっており、そのフンで岩壁が白く染まっている。

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島の頂上付近には石積みの修道院の遺跡がある。遺跡の概要を説明するための小さなプレートが申し訳程度に石壁に針金でくくり付けてある以外は、目立つような看板も順路表示もなかった。

島は正確には大小二つのピークからなっていて、高いほうの頂上付近に修道院の跡があるが、平坦な部分が少ないこの島でも他にも場所がありそうなものを、意図的にこの急峻な斜面に修道院を建立したのは、すこしでも天に近づこうとしたからだろうか。そして大西洋の大海原しか見えない南西側ではなく、わざわざアイルランドの本土を遠く望むような場所を選んだのは、たとえばあえて俗世界が存在する本土を遠望させて隔絶感や孤立感をかりたて、対比的にこの島の神秘性を高めるような、なにか宗教的な理由があったのだろうか。

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作物を育てる土も十分にない岩だらけの島で、修道者たちはどんな過酷な修業をし、どんな思いで遠くにかすむ本土を見ていたのだろう。病気になれば祈ること以外に方法はなかったはずである。そんなことを考えながら遺跡の中にいると、あっという間に時間が経ってしまい、あわてて急な石段を降りて帰り道を急ぐことになった。船着き場に戻るとすぐに渡船が戻ってきて、船頭は客の頭数を数えて誰も居残っていないことを確認してから、もやいを解いた。

その日はPortmageeから2時間ほど車で走った海辺の街に投宿した。宿の女主人に今日はどこから来たのかと聞かれたので、Caherdanielから海沿いにやってくる途中で、Schellig Michaelを遠望して、そこにどうしても行ってみたくなり船で渡ったと答えると、「それはすばらしい。今日はお天気も最高でよかった。あの世界遺産の島に渡るチャンスはなかなかない」と言った。世界遺産だと?あれが世界遺産なのか、と聞くと「ええ、知らなかったの?」と不思議そうな顔をされた。

いつも旅行するときは紙の地図は持ち歩くが、そもそもガイドブックなど荷物が増えるだけだし興味もないので読んだこともない。地図にはWorld Heritage(世界遺産)という表示はどこにもなかったし、そういえば途中でけばけばしい土産物屋も立て看板もみかけなかった。その日、同じ船に乗り合わせた私以外の客達は、誰もがみな世界遺産だということを知って乗船していたのだろうが、船頭もひとこともそんなことを言わなかった。

おそらくPortmageeの村に世界遺産をあてこんだ土産物屋のひとつでもあれば、その時点で船に乗ることはなかったかもしれない。しかし夕餉の席で一日を振り返り、その日たまたま訪れた非日常的な光景が実は世界遺産であったことを知らされるのも、まあ悪いものではなかったような思いがした。いつもそういうことは後で知る。名声とか他人が下した評価とは無縁のところを選んで生きてきたのだから、それは仕方がない。

【追記】その後、この島にも訪れる人が徐々に増え、2009年には観光客が死亡する滑落事故が5月と9月の二度発生した。石積みの登山道は手すり柵もロープもなく、景観を犠牲にしても安全対策をすべきか、渡航制限を設けるべきかという議論がされたようだが、現在はどうなっているだろう。