美容室建築 [59] BARBER Kotobuki

東京都と埼玉県が複雑な境界を接する北多摩の郊外、川沿いの窪地に二つの街道が交わる四つ辻。とある夕暮れにそこで信号待ちをしていて、角に建つ古いビルの一階にある理容室に思わず目が止まった。そこに見たものはまさに英国風のBARBERだった。
黒々とした看板に「寿」の一文字がひそませてあることすら、帰宅して写真を確認するまでは気がつかなかったほどだ。

政治家の立て看板がなければ、これはロンドン郊外の街角で日常的に遭遇する風景と言ってもまったく差し支えない。この前の道路は県道36号保谷志木線(県道片山線)ではなく、A24 Clapham High St.とかA236 Mitcham Rd.と呼ぶにふさわしいものだ。
この場所にたまたまこのような古いビルがあって、その一階にテナントとして入居するときに、建物の雰囲気にぴったりとマッチする店舗デザインを選んだのか、それとも最初から英国風のBARBERを開業したくて、幾多のテナント物件を探し回った挙句にこの建物にめぐりあったのか、その真相は聞いてみなければわからない。

信号が青になるまでのわずか1分ほどの間に目に焼き付いたこの光景は、それから都心に向かう渋滞の中でもずっと脳裏から消えることがなかった。

美容室建築 [58-1] オリオン美容室のその後

ひさしぶりに那覇に行くことがあったので、さっそく空港からオリオン美容室に直行してみると、すっかり様子が変わっていた。
オレンジ色の装飾テントは剥がされ、店舗部分の全体が再塗装されて、ここがかつて美容室だったことを窺い知るものは何も無い。
テントの骨を撤去せず、きれいに塗り直してあったのは、いずれ何かの形でこの店が復活することを願っているのだろうか。

美容室建築 [58] オリオン美容室

那覇空港から市内中心部に向かう道を逸れて、南のほうに延びる古い県道沿いにひっそりと建っている美容室。典型的な沖縄の古い民家の道路に面した部分を店舗として増築したもののようだ。低くブロックで囲った塀の切れ目が二つあるところから推測すると、かつては小さな店舗が二つ並んでいたようにも見てとれるが、それにしては店舗スペースが狭い。
左側はレンガタイル、右側はモルタル塗りで仕上げてあるが、仕切りのような真ん中のリブは本物のレンガを積んだもののようである。右側のクリーム色の扉のような部分は、下部をイミテーションのレンガ模様で合わせてある。また左右半分ともに同寸のガラスブロックを使っているが、仕上げが微妙に異り同時期に施工されたものではないようだ。
ブロック塀はよくみると右側の切れ目の周囲が新しく、右側の入口は後から作られたようにも推測される。いずれにせよ、どういう経緯で最終的にこのような姿になったものか、想像が尽きない。

【補足】
上に掲げた2枚の写真は2016年1月に撮影したものだが、この場所をGoogle StreetViewで確認すると、2010年9月、2010年10月、2014年5月、2015年11月の4度撮影されている。
最も古い2010年9月の撮影では、現在右半分が失われている装飾テントは、左右ともに同じオレンジのテントだったことがわかる。また右側の入口は、現在の左側と同じようなシャッターがついており、現在の右側のクリーム色の扉のような部分は、その後2010年から2014年の間に出入口を塞ぐように取り付けられたことを示している。

もっとも夏に近い時期に撮影されたこの2010年9月のStreetView写真では、色とりどりの花が咲き、緑濃く葉が繁り、鮮やかな壁の塗装とも相まってその一画だけが箱庭のような賑わいを見せている。

美容室建築 [57] 横須賀美容院

バス通り裏の川に面して、小さな橋のたもとに建っている古い美容院の家屋。
理美容室の建築としては珍しく、窓が少なく採光性が低い。シャッターが降りている入口は、どこか小料理屋のような雰囲気も感じさせる。
しかし屋根を覆い隠して看板化し、堂々と縦書きされた屋号の六文字は、最初から美容室として建てられたものであることを示しているようだ。
古い美容室では「美」の異体字をよく見かけるが、この字はこれまでに見た例にないものだった。

美容室建築 [56] ジューン美容室

その日は一日、雨の中を走り続けることを覚悟していた。どんなに濡れても先に進まないわけにはいかなかった。
雨に打たれることよりも、大きなトラックとすれ違うたびに叩きつけられる水しぶきが惨めでつらかった。
街から次の街までの間が、ひどく離れているのも身体に堪えた。かといってどの街に入っても身を寄せる場所もなかった。どの街も静かでただじっと雨に濡れていた。それでも少しのにぎやかさを求めて鉄道駅の近くを通ってみた。駅前のひっそりとした小さな商店の連なりの中に、開いているのかどうかもわからない美容室があった。

都会を遠く離れた小さな街の駅前にはひどく不似合いな、粋な看板文字をしばらくじっと見ていた。都会的な女性を連想させる洒脱なイメージがある一方で、手塚治虫の漫画の描き文字にも共通するものがあることに気づいた。
誰がこの文字の下案を描き、誰がこの形に切り抜いてこの壁に取り付けたのか。

遠い国の同じ名前の女性歌手のことをふと思い出した。これは六月のことではなく、大人の女性の名前なのだと自分に言い聞かせていた。

美容室建築 [55] ビューティーサロン・ヒロサワ

北海道の海沿いにある小さな集落の外れで、往時はモダンな外観であったことをしのばせる廃業した美容室に出会った。

すでに壁の一部は剥がれているが、廃業後に店舗部分のすべての窓を覆うように打ち付けられた板のおかげで、建物がひどく荒れている様子はない。
本格的な冬が来る前のある日、板材を小さなトラックに載せてここにやってきて、採寸しては板を切って調え、おそらくはそれほど長くはなかったであろうこの店舗のささやかな歴史に最後の封印をするように、板を打ち付ける几帳面な仕事をした一人の老いた大工のことを想像した。

美容室建築 [54] Courtney Barber Shop

沖縄に駐屯する米海兵隊基地の正門と県道をはさんだ真向かいに、平屋の古い商店家屋が数軒並んでいる。いずれも沖縄独特のセメントや漆喰でつくられた軒の低い簡素な建物の一群。そのいちばん端に基地の名前を取った床屋があったが、訪れたときにはすでに廃業していた。

近隣に軒を連ねている商店群の建物とほとんど同一の構造で、建具も共通していることから、最初から床屋として建てられたものではないようだ。強い日差しや季節的な防風雨を避けるかのように窓は小さく、面格子が取り付けられている。いずれにせよ内地の床屋のスタイルとは大きく異る。

もちろん基地の中にもバーバーはあるはずだが、それでも正門の前で米兵や米軍関係者を相手に、床屋商売が成立していた時代があったのだろう。シンプルなGIカットやクルーカットであっても、日本人の繊細でていねいな技術が好まれたのかもしれない。

美容室建築 [53] ホット美容室

東京の複雑な地形には、尾根を通る大通りにビルやマンションが立ち並び、その裏側の谷間には河川の名残りにそって、くねくねと細い道が続いている場所がたくさんある。その窪地にいまも残る小さな商店街の端の、商店がしだいに民家と入り交じるあたりに、美容室の看板がなければ見逃してしまいそうな店舗が建っていた。いや実際のところ、何度もその前を通っていながら、これまでその店舗に気づいたことがなかったのだ。

2間半の間口を5等分して、半間の出入口、一間半の窓、そして半間の陳列窓を配した典型的な美容室建築のレイアウト。いま扉は閉ざされて確かめるすべもないが、入口をくぐると上がり框があって、まず履物を脱ぐようになっているはずだ。

ホットがどういう意味だったのか、そのあたりにご近所の年輩のご婦人でもいらっしゃれば聞いてみたいところだったが、配達のバイクが一台通り過ぎていったほかは、その時間はネコ一匹歩いていなかった。

美容室建築 [52] Barber Shop New Standard

これまで多くの美容室や床屋を紹介してきたが、年季の入った古い建築だけを愛で、新しいものをすべて否定しているわけではない。

これは東京郊外の古い街道を走っていて、たまたま見かけた理容室。まるでアメリカ東海岸New England地方の避暑地にある小さな町のような光景だ。
建物のすみずみまで、置かれているもののひとつひとつにまで、オーナーの嗜好と意志がはっきりと具現化されている。それでいて過剰なものが一切ない。好きなスタイルを表現するために、あえて切り捨てたものがたくさんあったことがよくわかる。

ちょっと遠い場所だったが、いつか客としてまた訪れてみたい気持ちになった。

美容室建築 [51] 美容室フルカワ

世界的に有名な観光都市の中心を少し外れた静かな町並み。普通の人々が平穏に暮らすこの通りに足を踏み入れる観光客はいない。

美容室の看板がなければ、喫茶店やレストランと言われても疑うことはないだろう。
目をこらさなければ、4つの装飾テントがはめ込まれていることをうっかり見過ごしてしまいそうなほど、吹きつけ塗装の色とテントの色を自然に合わせてある。垂直方向に3本配したリブをU字にカットすることで、その前を通り過ぎる人の視線をさりげなくかわしながら、採光性を十分に確保することも実現している。実際になんどもその前を行き来してみると、角度によってファサードの表情が連続的に変化する。細粒の玉砂利で表面を仕上げたベース部分にリブが接続する内偶角のアールの付け方もなかなか心憎い。

なにげない市井の建物に込められた無名の工務店の仕事ぶりを愛でるたのしみは尽きない。

美容室建築 [50] ともえ美容院

飲食店街のネオンと喧騒を離れて、暗く細い路地をひとり歩いていると、偶然古い美容院の前を通りかかった。そこだけ明るく照らされているのは水銀灯でもあるのかと振り返って見上げると、ちょうどビルの谷間から顔をのぞかせた煌々と輝く満月の所為だった。
まるで油絵のような壁肌の陰影。
窓辺の花瓶と水差し。
月に咲く花のように。

美容室建築 [49] ビューティーサロン・モリタ

はじめて訪れた街にアーケード商店街があれば、できるだけ歩いてみる。アーケードの中も興味深いが、ひそかに楽しみにして探すのはアーケードと直交する細い脇道にひっそりと佇む店舗や飲食店だ。とくに脇の通りに店を構える小さな美容室や理髪店には、アーケード内の店とも、あるいは住宅地の中やバス通りに面した店舗とも異る一種特有の表情がある。

この店舗は窓面積を最大限に確保している以外は、とくに美容室らしい特徴もないように見えるミニマルなデザインで、ミルクホールや喫茶店と言っても違和感がない。
化粧ガラス(チェッカーガラス)を通してぼんやりと見える店内の様子は、まるで解像度の低いドット絵のようで、店の奥で人が動くたび、かげろうのようにゆらゆらとその影が揺れている。

自動車修理工場 [6] 北関東の整備工場

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私鉄線の踏切の遮断機が上がるのを待っている間、なにげなく目をやった道路沿いの建物にちょっと驚いた。
じつにみごとな扁額である。まるで篆刻のようでありながら、いまでも通用するポップな感覚の文字が、几帳面に一寸の乱れもなくトタン庇の上に並んでいる。モータリゼーションの波がこの地方にも押し寄せてきた頃に、新しい時代のゆたかな生活に対する人々の夢や、スピードへのあこがれを込めたこの文字は、地元の看板屋が考えたのか、それとも工場主がちょいと意匠には腕に覚えがあって自分で図面を引いたのか。

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工場主と看板屋が、首にかけた手拭いで汗を拭き拭き、図面を前に相談をしていたその日から、すでに半世紀以上は経っているだろう。
このあたりは関東平野のど真ん中で、最も暑い場所の一つである。

地方家具店の孤独

地方都市やその郊外を走っていると、ときどき地元家具店の大きな建物を見かける。
家具店というのはなにしろ扱う商品の一つ一つが大きいので、当然大きな建物を用意しなければ豊富な品揃えでお客さんを迎えることができない。

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地域随一の品揃えを維持していれば、婚礼や引越しのたびに堅実な需要があったのはすでに遠い昔。いまは北欧の倉庫式家具屋やネット通販に顧客を奪われ、大きな建物はひっそりとその役目を終えようとしている。

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この近くには巨大な国際空港がある。おそらく家具店の建物よりも空港のほうが後からできたと思われるのだが、いま建物はちょうど離着陸の進路の真下に位置していて、今日もアメリカに向かう飛行機、アメリカから到着した飛行機がつぎつぎと、この大きな文字の上空を通りすぎる。
家具屋の建物はちょっと物憂げな表情をした白い巨象のように、毎日国道の脇からその飛行機を見上げている。

美容室建築 [48] 国道交差点のパーマ屋

南九州の夕暮れ。県道から旧一級国道に出るT字交差点で信号待ちをしている目の前にあったパーマ屋。

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このささやかで控えめな、幅一間半にも届かない小さな建物が、そのすべてなのか。それとも右側に連なる大きな建物も含まれるのか。
赤信号で止まらなければ、パーマ屋であることに気がつかなかったかもしれない。
すでにかなり日が暮れてきた。ヘッドライトに集まる虫が、ヘルメットのシールドにぶつかっては無残な死を告げている。