東京の下町。川の土手に向かうバス通り。

なんども補修した壁、幾重にも塗り重ねた青い窓枠。
端正なグリッドを作っている16枚の窓の中には、固まったペンキですでに開かなくなったものもあるかもしれない。
店の前にちょうど立っている街路樹がぴたりと風景にはまっている。
じっと眺めていると、どこかポルトガルの田舎町にでもいるような気分になった。
Published on 2013/06/09
東京の下町。川の土手に向かうバス通り。

なんども補修した壁、幾重にも塗り重ねた青い窓枠。
端正なグリッドを作っている16枚の窓の中には、固まったペンキですでに開かなくなったものもあるかもしれない。
店の前にちょうど立っている街路樹がぴたりと風景にはまっている。
じっと眺めていると、どこかポルトガルの田舎町にでもいるような気分になった。
Published on 2013/05/23
これは山口県の小さな田舎町で、偶然通りかかったカラオケスナックの看板だ。


どう見ても、もはや道という字の原型を留めていないのに、それでも道としか読めないその字崩しの妙はすばらしいが、さらに驚くべきことにこの図案の中には、カタカナとひらがなで「ミち」の二文字も潜ませてあるのだ。
くちゃくちゃっとした赤ちゃんの握りこぶしを連想させるような、あるいはお母さんが赤ちゃんを抱き上げているようなこの字をしばらく眺めていると、昨年静岡県のとある町の裏通りで見かけた肉屋の看板のことを思いだした。

世の中には巨額のギャラをもらってロクでもないコーポレート・ロゴを作る売れっ子デザイナーもいれば、このように地方の片隅で、おそらくはわずかな制作費で、一目見ただけで長く記憶に残るような看板を地道に作っている職人もいる。誰が作ったかわからないものこそ美しい。
Published on 2013/05/15
小倉の旦過市場は全国的に有名で多くの観光客を集めているが、北九州市内には他にもまだこのような古い庶民の市場があちこちに残っている。小さなものまで数えると、100ヶ所近くあるらしい。けっこう大きな木造建築だったり、アーケード部分も古い木造のものが多いのが特徴のようだ。


連休最後の日曜日、北九州市内をちょっと走っただけで、いくつもの市場を見かけたが、時間がなくてその内部まで足を踏み入れることができなかった。いつか店が開いている平日にゆっくりと古い市場探訪をしてみたいものだと思った。
Published on 2013/04/09
30年ぐらいまえには東京市中のあちこちでごく普通に見かけた八百屋のスタイル。
トタン屋根の平屋で、屋号も八百常とか八百定とか必ず八百の二文字が付いていた。大きく張出した繰り出し式のテントがついていて、午後には店の人がクランクになった棒をくるくると回して何度もテントの長さを調節したものだ。
店の真ん中にカゴが吊るしてあって、そこに釣銭が入れてあった。

Published on 2013/03/10
もう何年も前のことだが、厳冬期のデンマーク・スウェーデン・フィンランドの三国へ給油所を撮影しに行った。その写真をはやく整理して公開しなければと思いつつ、あっという間に月日が経ってしまった。

やるやると言っておいてやらない詐欺がある。しかしここは自分を奮い立たせるためにも、黙っていてなにもやらないよりも、やるやると予告してしまうほうが早く実現に結びつくのではないかと考えた。

デンマークではA・ヤコブセンが1937年に設計して、いまも使われている有名な給油所に行った。建築界では世界的に有名な建物であるから、これまでにその給油所を訪れたことのある日本人の数は少なくないだろう。しかし現在は無人のセルフ式となっている給油所に二日間で延べ8時間ぐらい滞在して、ときどき思いついたように写真を撮った以外はただ何をするでもなくぼーっと過ごして、その前の舗道を行き来する人達や、給油に訪れる車をただ眺めていた日本人は(いや日本人じゃなくても)、自分の他にいないのではないかと思う。
ということで、とりあえず予告はした。予告はしたが、いつ公開できるかはやはりわからない。少なくとも「やる」というモチベーションは高まったので、そう遠くないことと思われるが「乞うご期待」とは、まだとても書けない。
Published on 2013/03/08
この壁と扉が好きだった。エナメルの標識板も、換気口も、雑草も、壁のひび割れまでも、あらゆるパーツが好きだった。その前を通るたびに足をとめて写真を撮った。
2012年10月6日
2012年10月13日
2012年12月9日
2013年1月13日
そして今日ひさしぶりに通りかかって、その変貌に驚いた。

もうこの壁は好きじゃないというべきなのか。それでも好きと言えばいいのか。これを許したとき、それが本当の愛に変わるのか。
【追記:2013年4月13日】
それでも好きと見つめ続けると、扉は大きく開く。緑の草は萌え、黄色い花も咲く。

Published on 2013/01/29
こういうのを自分は「キュートな」美容室だと思っている。
小粋で、元気がよくて、ぷりっとしてる。

しかしカーテンも閉まっているし、今日は休みだろうかと思って近づいてみると、小さく控えめに「営業中」と書かれた段ボールの札がドアの内側から貼り付けてあった。
大きな漁港のあるこの町の美容室に馴染みのお客さん達がやってくるのは、どんな天気の日のどんな時間帯なのだろうか。
Published on 2013/01/13

洋髪、御婚禮という表記から察するに、相当に古くからこの地で営業を続けてきた美容室と思われるが、すでに廃業されている。店舗の出入口が見当たらないのだが、大きく書かれた屋号の下、四つ角に面したところが元の出入口で、廃業後にそこを塞いで窓を作ったのではないだろうか。
よく見るとこの正面の部分の一階から二階にかけて、何かを撤去した痕跡のような黄色い筋がコの字を伏せたような形で残っている。もしかすると大きな装飾テントが取り付けてあったのでなないかと思われた。そこでふと思いついてGoogle Street Viewで調べてみたら、その予想がまさに大当たりで自分でも驚いた。
Street Viewは2009年12月の撮影となっているので、最近まで営業されていたのだろう。装飾テントの形状といい、入口扉とタイルの色や形の組合せといい、いまの姿からは想像もできない現代的なものだ。
装飾テントを撤去したときに、その下から現れた大きな浮き彫りの文字を見て、古くから住む近所の人々はタイムマシンに乗って過去に帰ったような気分になったことだろう。
Published on 2012/12/12

東京の中心、大きな通りに面して廃業した古い理髪店の建物が取り残されたように建っているのを見つけた。住居を兼ねた二階建てのファサードをタテに伸ばして大きく見せ、その裏側の屋根の上には、複雑な形状の上屋を増築している。店で使うタオル用の物干し台があるのかもしれない。

入口は三色の回転灯がなければ喫茶店かと思うような、落ち着いた表情をしている。
入口部分の微妙な張出しに幅を合わせた装飾テントはすでに色褪せているが、トリコロールが赤白青ではなく、赤白青白赤の繰り返しパターンとなっているところが洒落ている。テントの形は都会的ですっきりとしており、下縁のフリンジも控えめで品が良い。

入口の木製扉の掃き出しとなっている足元には二色のタイル。植木鉢が載せられている錆びた鉄製の台は、まるでアンティークの装飾架台のようだが、おそらくかつて使用していた大型の三色灯のベース部分を流用したもののようだ。

植木鉢のシダも、二階の窓の高さに達する植え込みのゴムの木も青々として色艶がよい。建物には売物件の看板がついているが、誰かときどきやってきては、扉のガラスを磨いたり植木の世話をしている人が、きっといるに違いない。
Published on 2012/11/30

ある方から、ご郷里にある廃業された理髪店をご紹介いただいたので、行ってきた。小さな城下町の中心に入って行く緩やかな坂の旧街道に面して建っている。最初Twitterの画像で教えていただいたときにはわからなかったが、現地で実際に見るとじつにみどころの多い美しい物件だ。
採光を確保するために、定石通りに南面している側面も含めてガラス窓を最大に配置しているのだが、正面の入口の左右に四枚ずつ入れてある窓は、引き違い窓ではなく1枚ずつ回転するもののようだ。高窓の造作も質素であるが、装飾的な役割は十分に果たしている。
角に曲面を取った看板部分はすでに白く塗りつぶされているが、その以前に古い看板があったものの上から、後年少しでもモダンに見えるようにかぶせたものかもしれない。
できれば真ん前に止めてあるクルマがない時に撮影したかったが、聞けばこのクルマはここが定位置で、ここから動くことはないのだそうだ。
Published on 2012/11/15

まだ冬至まで1ヶ月以上あるはずなのに、15時を回るともう陽がかげって紅くなる。関東平野に点在する小都市のひとつで、通りすがりにみつけた理容室。おそらく戦後すぐに建った建物だろうが、何度も改修が行われた様子がうかがえる。瑠璃色のタイルをあしらった装飾的な袋を窓下に作ったのは昭和50年頃か。改築を頼まれた工務店の親方は、どうすれば都会的な雰囲気が出せるか、一生懸命知恵をしぼったに違いない。
サッシもアルミに取り換えられているが、妻側の窓は木製の窓枠が残っている。かつては通り側の窓、扉、天窓もすべて同じような形式になっていたのだろう。

西日をいっぱいに浴びた看板には、時代に合わせて異なる書体で描かれた理容の文字が重なる。カーテンが閉じられた店内には、往時のまま椅子や鏡がまだ残されているのだろうか。
Published on 2012/11/08
用事があって伊豆大島に行ってきた。夜10時に竹芝桟橋を船で出て翌朝6時半に伊豆大島に到着、その日の午後2時半にまた同じ船に乗って夜7時に東京に戻ってきたので、実質的な滞在時間は半日もない。

伊豆大島の人口は8000人。港もよく整備されているし、空港の建物も新しい。そしてこれぐらいの規模の人口を持つ島は日本中どこに行ってもだいたいそうだが、とにかく道路が立派である。トンネルが立派である。その道路を利用する立場としてはありがたいことだ。断崖絶壁にへばりつくようにかつて細い道が通っていた痕跡や廃道がところどころに残っているのを見ると往時の苦労がしのばれるが、いまではよく整備された一周45kmの周回道路は二輪でゆったりと走るにはアップダウンや気持ちのよいカーブも多くて、快適この上ない。
建物も古いものはほとんどなく、ぐっとくるような古い床屋や美容院や食堂も見あたらない。きょろきょろと何かの痕跡でもないか探していてようやく見つけたのが、この古い案内地図看板。

手描きで書き込まれた業種や屋号などから想像するに、昭和30年代から40年頃にかけてのものだろう。もちろん現在の状況とは大きく異なるものだが、風雨に耐えこの看板だけが取り残されたように壁にかかっていた。

ひとつひとつ筆で書かれた屋号を読み取っていると、「パチンコ・アイルランド」と書かれた店があるのに気づいた。これは不思議だ。なぜアイルランドなのだろう。ここは島なのだからアイランドならばまだわかる。昭和30年代の田舎にあったパチンコ屋なら、間口が狭く、天井は低く、店内はせいぜい2列ぐらいの通路の両側に、木製の台にとりつけられた手打ちのパチンコ台が多くても40台ほど並んでいるような規模のものだったことだろう。
ほんとうにアイルランドという屋号だったとしたら、店主はどんな思いでそう名付けたのだろうか。あの北大西洋の端に浮かぶ、豊かな自然の緑の島のイメージを伊豆大島に重ねていたのだろうか。そのことがその時代にこの島にまで伝わっていたことにちょっとした興奮を覚えた。
しかし、たぶんこれはアイランドの間違いなんだろう。だとすれば看板屋が間違えたのだろうか。看板屋はなぜアイルランドという言葉を知っていたのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、ポカポカとした初冬の島を走ってきた。
Published on 2012/11/03

前回にひきつづき、ラーメン店をご紹介。真ん中の太い柱。おそらく竃の直上にあるだろう太い煙突。全体の黒々とした表情をひきしめる紅殻色のトタン屋根。4枚入ったガラス戸も真ん中の桟が二重になっていて、簡素ながらも最小限の意匠が加えられている。
まだ早朝で暖簾も取込まれたままだが、地元では古くから有名な店らしい。だがラーメンのことはどうでもよいのである。これが店の前に行列でもできていたら、カメラを向けることができないではないか。
Published on 2012/10/31
街道ではUターンできないので、いちど左折して裏道に入り、元の街道に出ようとしたときに偶然通りかかった店。

大胆な配色と文字の配置が人目をひく大きなテント看板。二間幅に四枚並べた木製ガラス戸には一面にビニールテープで書かれた品書き。ホワイトボードに手書きされた追加メニュー。夕方の開店を前に店内に取込まれている赤い暖簾。それぞれにさまざまな書体の文字が混在していながら、そのどれもに味がある。
あとで調べてみたら、奇抜なラーメンを供することで有名な店らしい。ホワイトボードに書かれている紫色、水色というのもラーメンのメニューとは驚きだ。
だが、ラーメンのことはどうでもいい。静かな裏通りに異彩を放つこの店の面構えが、帰り道ずっと記憶に残っていた。
Published on 2012/10/12

古い街の中心を通る街道から一本裏に入った通りで出合った建物。その存在感に圧倒された。これが理容室であったという証拠はどこにない。だが、理容室でないという理由も見当たらない。見ればみるほど、かつて理容室であったように思えてくる。

この建物が最後、メナード化粧品の販社事務所であったことは間違いないだろう。だがメナード製品が理容美容業界と強い繋がりをもち、床屋や美容室を販路としていたことを考慮すると、ある時期まで理容室として使われていた建物が、後に事務所に転用されていたという可能性はじゅうぶんにあるだろう。

そんなことを考えながらいろいろな角度からシャッターを何度も切り、かれこれ20分ぐらいそこに居た。そしてその間、隣の傾きかけた車庫のような建物の屋根に上って、傷んだトタン葺きの普請をしていた職人さんは、ただの一度もこちらを向かなかった。それはおそるべき仕事への集中力だった。